今まで私がやってきたのは、「無条件に愛さない」為の言い訳だったのだと分かった。

 

例えば、誰かのせいでイライラする、政府のせいで不安(どーゆーこと汗うさぎ?)等々、人や何かのせいにして、自分自身が「無条件の愛」そのものでいないこと。

 

それを今世に限らず、ずーっとずーっと続けていたんだった。

 

 

今となっては、そんなのただの言い訳にしか思えない泣き笑い

 

でも当時は怖かったんだよね、愛するのも愛されるのも。

 

振り返ってみれば、そんな葛藤の方がよっぽど苦しかった。

 

それも良い思い出だなー。

 

 

今の世の中で「愛」といえば「愛情」だったり「愛する」がフツーの認識で、そんなのも自分の本質である「無条件の愛」に気づき辛い一端なのだと思う。

 

愛(無条件の愛)とは、感情ではなく、気分でもない。純粋な波動そのもの。

「愛という感情を感じたい」ということは出来ないし、(中略)「愛を探す」とか「愛を求める」とか、そういう話ではない。

 

ーーそう教えてくれたのは、私淑する並木良和先生。

 

愛とは状態、beingとdoingが同時に存在している。

 

「愛である」と同時に「愛する」でもあり、それが同時に起こっている状態が、私たちの本質で、本来の在り方なんだろう。

 

 

今、私は、周波数が浮かび上がっても、「本当は愛したいのに、出来なかった苦しさ」なんだと捉え、それをも「愛する」。

 

すると、どんなにやっかいだったものも一瞬で溶けてしまう。

 

私の本質は「愛そのもの」で「愛する」ハート

 

「自分自身であること」「自分を表現すること」=「愛する」なんだよね。

 

それが一番の望みじゃないけど、一番したいことで、っていうか望む以前に既に「そう」だから、いちいち手放そうとしなくても、愛で統合してしまえる。

 

私の愛を阻むことができるのは、私だけ。

 

今までの小さく狭いみみっちい愛なんか止めてしまって、本来の大きく広い愛を今、体現しようキラキラ

 

 

「自分が愛である」その状態をキープし続ける、それを憶い出し続けていることが、唯一やることと云えば「やること」かな。

 

やることがハッキリしてるなら、いいねニコニコ

 

それに集中して、今までとは違う在り方&行為から映し出される「現実」を楽しみにしたい。

 


 

読んでくれてありがとうびっくりマーク

素敵な新月を迎えられますようにキラキラ