今まで私がやってきたのは、「無条件に愛さない」為の言い訳だったのだと分かった。
例えば、誰かのせいでイライラする、政府のせいで不安(どーゆーこと
?)等々、人や何かのせいにして、自分自身が「無条件の愛」そのものでいないこと。
それを今世に限らず、ずーっとずーっと続けていたんだった。
今となっては、そんなのただの言い訳にしか思えない![]()
でも当時は怖かったんだよね、愛するのも愛されるのも。
振り返ってみれば、そんな葛藤の方がよっぽど苦しかった。
それも良い思い出だなー。
今の世の中で「愛」といえば「愛情」だったり「愛する」がフツーの認識で、そんなのも自分の本質である「無条件の愛」に気づき辛い一端なのだと思う。
愛(無条件の愛)とは、感情ではなく、気分でもない。純粋な波動そのもの。
「愛という感情を感じたい」ということは出来ないし、(中略)「愛を探す」とか「愛を求める」とか、そういう話ではない。
ーーそう教えてくれたのは、私淑する並木良和先生。
愛とは状態、beingとdoingが同時に存在している。
「愛である」と同時に「愛する」でもあり、それが同時に起こっている状態が、私たちの本質で、本来の在り方なんだろう。
今、私は、周波数が浮かび上がっても、「本当は愛したいのに、出来なかった苦しさ」なんだと捉え、それをも「愛する」。
すると、どんなにやっかいだったものも一瞬で溶けてしまう。
私の本質は「愛そのもの」で「愛する」![]()
「自分自身であること」「自分を表現すること」=「愛する」なんだよね。
それが一番の望みじゃないけど、一番したいことで、っていうか望む以前に既に「そう」だから、いちいち手放そうとしなくても、愛で統合してしまえる。
私の愛を阻むことができるのは、私だけ。
今までの小さく狭いみみっちい愛なんか止めてしまって、本来の大きく広い愛を今、体現しよう![]()
「自分が愛である」その状態をキープし続ける、それを憶い出し続けていることが、唯一やることと云えば「やること」かな。
やることがハッキリしてるなら、いいね![]()
それに集中して、今までとは違う在り方&行為から映し出される「現実」を楽しみにしたい。
読んでくれてありがとう![]()
素敵な新月を迎えられますように![]()


