先日更新されたばかりの、はせくらみゆきさんの記事を読んだ。
ルシファーの話の下りでのこと。
以前この話を知った際には、怖くて彼と目が合わせられなかったのを思い出した。
それが、今はちゃんとじっと目を合わせていられる![]()
私もちゃんと彼の眼の中にある正気(?)の光が分かって、彼の愛の深さに涙が溢れた。
すげー胆力で大変な仕事をなさってる![]()
そのことに敬意をもつと同時に、彼を直視できるようになった自分の強さにも誇らしくなった。
その後浮かんだのが、これまたお馴染の壁叩きの隣人。
前は隣人から一方的に被害を受けているような気がしていたけれど、今は私が映し出す映像の一部に思えている。
私が見ないようにしてきた部分、つまり闇が、隣人を通じて噴き出しているのだと。
統合を重ねるうちに、そういったものを直視できるようになり、闇は全く怖くないのだとも知った。
言葉通り「見ないようにしていた自分」だけだから、正面切って向き合えば、全然大丈夫![]()
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ってやつで、闇も元々は自分自身。
自分が自分を傷つけることなんてないし、怖がらなくていい![]()
同様にして、隣人もその他のネガティブに見える人や現象も、それぞれがそれぞれに自分の周波数に対応してるだけだと思った。
不思議と連帯感のようなものが浮かんで、良いも悪いも違いも越えて、ただ今という瞬間を生きている同士に思える。
それぞれの仕事を今、それぞれの立場とそれぞれのやり方で為している。
そこをどう使うかは、自分次第ーー。
地獄でのルシファーの眼の光が浮かんで、私が「ネガティブ」だとジャッジしてしまう存在にも、彼らの本質の光を見出せるような気がした。
だから結局、自分がどこにフォーカスを合わせるかだけなんだと思う![]()
荒れ放題に見える草っぱらにげんなりするのか、それとも逞しい植物の生命力に驚嘆するのか。
大変そうに見える世の中でも、今風が頬を心地よく撫ぜる穏やかさでも、どちらでもいい。
もっともっとフォーカスを引いた先、もしくはフォーカスを突き詰めた先には、ただの光が存在しているのだと知れる。
光が蠢いて、光が構成する世の中に、色んな色をつけて遊んだ世界から、元いた全てが「ただの光」の世界へ。
どちらを志向して、どちらに気付いているかだけが、道を分かつ。
そんなシンプルな世界への帰還に向けて、私は今まで私を苦しめた「ネガティブ」にも敬意をもって、愛と感謝を贈ろうと思う![]()
今まで本当によくやったね、私たち![]()
労いと共に、浮かび上がる周波数を統合し続けたい。
読んでくれてありがとう![]()
美しい五月を健やかに過ごされますように![]()


