わたしはあなた、あなたはわたしーーその感覚が最近少し腑に落ちてきた気がする![]()
先日から徹底的に統合を重ねていて、ふと浮かんだアレもコレも手放していたら、あれ?と思った。
その時はニュースで取り上げられていた人のことをあーだこーだ言いたくなって、実際に声に出してみると、気づいた。
私にもそんなところ、確かにあったよなって![]()
そしたら、フッと批判したくなる気持ちや不快感が消えて、ああ、単に私の周波数がその現実を映し出していたんだと分かった。
その人の弱さも、小我の「この私」ではなく大我の「わたし」の一部として、スッと受け入れられた。
そして凪ーー責める人も責められる人も消えて、そこには波がただ揺らめいていたのだと気づいた。
ニュースで取り上げられてた人に対してそう思えるんだったら、長年葛藤のあった父に対してはどうだろう
と思った。
最初は抵抗が出て、それを今まで通り一生懸命手放そうとして、ふと気づいた。
ちがう、その「抵抗する」ありのままの自分を受け入れるのだと。
抵抗が出るのは当たり前、そのまんまの自分を受け入れるーーとやると、スッと不快感が治まった。
父に過剰に反応することがなくなって、自然と、いつの間にか、今目に映る全てが「わたし」の全体だと分かって、どれもがとても大切でかけがえのないものだと分かった。
…うーん、言葉にすると難しい![]()
よく「現実は内側の反映」って言うけれど、小我の「私」ではなく大我の「わたし」が映し出してるんだよね。
小我は「え?自分にそんなところはないはず
」ってやるんだけど、小我が捉えられてる範囲って狭くて。
だって小我は、見たくないものは見ないよね![]()
でも大我はちがうーー大我は全体、一つなるものだから、全てを含んで、そこに誤魔化しはない。
大我は、小我が「そんなの無い!
」って思い込んでるものも全部を映し出すーーだから小我の思い込みより「現実」の方が正解、余すことなく内面を反映している。
そこが腑に落ちたというのか、自分が否定的に捉えてる人やものですら、抵抗感なく受け入れられたんだった。
そうなってみた感覚は、「そんなこともあるよね」といった感じ![]()
甘さもズルさも弱さも全て私にもあったものだと、過去を思い起こすような感覚で、遠くに感じる。
同時に、当時見ないようにしていたそれらを、今他者(にくっつけてる周波数)を通じて一つ一つ拾い直しているようにも思う。
「ありのままの自分を受け入れる」とは、心が狭くて小さい自分も受け入れること![]()
愛すべき自分、その自分の弱さを受け入れていくと、人の弱さも理解し受け入れられるようになる。
そして、その人本来の姿が垣間見れるようになり、本来の輝きにフォーカスできるようになる。
大我は全てを含む全体、輝きを直視する抵抗を手放せば、そこには闇も光も両方があって、どちらも好きに手に取れるのだと。
私はそう出来ることを望むから、意識を小我から大我へ移行させる。
小我だと抵抗があるけど、大我なら元々が全体だから、他を含めることにも抵抗はない。
だってそもそも、本当は何一つとして分かたれたことは無かったから![]()
分離は幻想、今そのヴェールを剥ぎ取って、真の可能性、真の自由へと目醒めよう。
今がそのタイミング![]()
もっともっと深くこの感覚を深め、更に更に一元性に目醒めていきたい。
この欲求すら分離の起こすもの
ーーだけど今はそれでいい。
ありのままの自分を受け入れて、今に邁進したい。
読んでくれてありがとう![]()
花冷えの今夜、温かくして過ごされますように![]()

