わたしはあなた、あなたはわたしーーその感覚が最近少し腑に落ちてきた気がするほっこり

 

先日から徹底的に統合を重ねていて、ふと浮かんだアレもコレも手放していたら、あれ?と思った。

 

その時はニュースで取り上げられていた人のことをあーだこーだ言いたくなって、実際に声に出してみると、気づいた。

 

私にもそんなところ、確かにあったよなってキョロキョロ

 

そしたら、フッと批判したくなる気持ちや不快感が消えて、ああ、単に私の周波数がその現実を映し出していたんだと分かった。

 

その人の弱さも、小我の「この私」ではなく大我の「わたし」の一部として、スッと受け入れられた。

 

そして凪ーー責める人も責められる人も消えて、そこには波がただ揺らめいていたのだと気づいた。

 

 

ニュースで取り上げられてた人に対してそう思えるんだったら、長年葛藤のあった父に対してはどうだろうはてなマークと思った。

 

最初は抵抗が出て、それを今まで通り一生懸命手放そうとして、ふと気づいた。

 

ちがう、その「抵抗する」ありのままの自分を受け入れるのだと。

 

抵抗が出るのは当たり前、そのまんまの自分を受け入れるーーとやると、スッと不快感が治まった。

 

父に過剰に反応することがなくなって、自然と、いつの間にか、今目に映る全てが「わたし」の全体だと分かって、どれもがとても大切でかけがえのないものだと分かった。

 

…うーん、言葉にすると難しい汗うさぎ

 

よく「現実は内側の反映」って言うけれど、小我の「私」ではなく大我の「わたし」が映し出してるんだよね。

 

小我は「え?自分にそんなところはないはず驚き」ってやるんだけど、小我が捉えられてる範囲って狭くて。

 

だって小我は、見たくないものは見ないよね指差し

 

でも大我はちがうーー大我は全体、一つなるものだから、全てを含んで、そこに誤魔化しはない。

 

大我は、小我が「そんなの無い!凝視」って思い込んでるものも全部を映し出すーーだから小我の思い込みより「現実」の方が正解、余すことなく内面を反映している。

 

そこが腑に落ちたというのか、自分が否定的に捉えてる人やものですら、抵抗感なく受け入れられたんだった。

 

 

そうなってみた感覚は、「そんなこともあるよね」といった感じほっこり

 

甘さもズルさも弱さも全て私にもあったものだと、過去を思い起こすような感覚で、遠くに感じる。

 

同時に、当時見ないようにしていたそれらを、今他者(にくっつけてる周波数)を通じて一つ一つ拾い直しているようにも思う。

 

「ありのままの自分を受け入れる」とは、心が狭くて小さい自分も受け入れることハート

 

愛すべき自分、その自分の弱さを受け入れていくと、人の弱さも理解し受け入れられるようになる。

 

そして、その人本来の姿が垣間見れるようになり、本来の輝きにフォーカスできるようになる。

 

大我は全てを含む全体、輝きを直視する抵抗を手放せば、そこには闇も光も両方があって、どちらも好きに手に取れるのだと。

 

 

私はそう出来ることを望むから、意識を小我から大我へ移行させる。

 

小我だと抵抗があるけど、大我なら元々が全体だから、他を含めることにも抵抗はない。

 

だってそもそも、本当は何一つとして分かたれたことは無かったからニコニコ

 

分離は幻想、今そのヴェールを剥ぎ取って、真の可能性、真の自由へと目醒めよう。

 

今がそのタイミンググッ

 

もっともっと深くこの感覚を深め、更に更に一元性に目醒めていきたい。

 

この欲求すら分離の起こすもの笑ーーだけど今はそれでいい。

 

ありのままの自分を受け入れて、今に邁進したい。

 


 

読んでくれてありがとうびっくりマーク

花冷えの今夜、温かくして過ごされますように桜