昨日こんな記事を書いた。

 

数年に渡り続いた隣人の壁叩きによって、気づけたことを書いた。

 

その後何となく読んでたネット小説の台詞に、だいたいこんなことが書いてあった。

 

「私もただの人間。親切にされたら嬉しいし、無視されたら辛い。」

 

それを見て、ハッとしたびっくり

 

上の記事で隣人を「 世間一般で言う悪いところ、批難されるところを全て持ち併せた、誰からも忌避されるような存在 」だと書いたけど、隣人だって親切にされたら嬉しくて、無視されたら辛いフツーの人間なんだと。

 

フツーの人間じゃないと、そう思い込んで隣人を見てたのは、私だったんだと気づいた。

 

 

つまり隣人をそういうストーリーに組み入れてしまっていて、多分それって世間ではフツーの在り方だから、なかなかそこから出られなかったんだよね。

 

でも、違う。

 

「私が」そういうストーリーだと認識したから、現実がそういう風に表れていただけのことで。

 

彼らは単に、私の望むように振る舞ってくれていた(ように見える)という仕組みだった…。

 

もうホントびっくりよだれ

 

私の望むように動いてくれた隣人と、それを望んだ私とでは、どっちが人でなしなんだっていう笑い泣き

 

 

それに気づけば、他にも勝手にストーリーづけてることがあるはずと思う訳で。

 

例えば父にも、あんな人こんな人だとキャラクターづけていたりする。

 

更に言えば、何より私も私自身に「こんな感じ」と決めつけがあるはずで…なんか人生損してる気がする~笑い泣き

 

それって全然自由じゃないよね。

 

ってことで、さっさとどれも手放して、ストーリーつまり偏見を全て取っ払った先を楽しみにしたい。

 

何だかやる気が出て来た~、ドカドカ手放して、もりもり人生楽しんでやろうと思うウインク

 


 

読んでくれてありがとうびっくりマーク

明日めっちゃ寒いらしい…暖かくして過ごされますようにコーヒー