タイトルはこの曲から拝借。もう八年前~泣くうさぎ

 

 

最近ハマっている「非二元」。

 

私はまだまだ完全に腑に落とせたわけじゃなく、何となくこんな感じかなはてなマークと思ってる状態。

 

でもどんどん体感を深めたくて、自分の中での「非二元」体験に想いを巡らせてみた気づき

 

そしたら結構思い浮かんで、「非二元」って結構理解するのが難しいと思われてるけど、頭や言葉で理解しようとするとややこしいだけで、結構日常で体験してるんだな~って思ったので、私なりの例を書き出したい。

 

 

「非二元」でまず浮かんだのが、以前深く瞑想出来た時のこと。

 

ある瞬間にハッとして「自分の存在」に気づいたーーすると全ての存在が立ち上がった。

 

それに気づくまでの深くリラックスした感覚、絶対的な安心感と一体感…あれは衝撃的な体験だった昇天

 

他に、例えば大好きなChie Artさんの絵を見ながら音楽を聴く時。

 

自分が白い光の渦巻きになって、握ってた周波数も掴めずにハラハラ落ちて消えていく。

 

光が拡大して「自分」が消えて、ただ光になってどこまでも拡散していく…あの開放感酔っ払い

 

日常なら、コーヒーを飲んだり、木が風に揺れたり雲が流れるのを眺める瞬間。

 

ふと周りの空間と一体になって、我を忘れる…数秒であっても、すごくリフレッシュする目がハート

 

そういえば、このブログのサブタイトル「静寂」も「非二元」の領域だと思う。

 

「二元」つまりジャッジが無いと、ただ事象が立ち上がるだけで、クリアな認識が可能になる。

 

 

結局のところ、「非二元」を一言で云えば「自分」を無くすレベルの(究極のリラックス)状態なんだと思う。

 

あ、スポーツ選手がゾーンに入るってやつもそうかも。

 

だとしたら、極度の集中状態も含まれるのかもはてなマーク


私はあんまり経験無いけど、アイドルにキャーニコニコとなったりキューンとなってる時もそう。

 

飲酒で我を無くしたり、パチンコに夢中になったり、競馬でレースにのめり込んでる瞬間も、あの危ないお薬笑もきっとそう。

 

そこに至る手段がどうであれ、誰しもが望むのは「我」を忘れて「無」になることなんじゃないか。

 

「全体」と「私(我、自分etc.)」の分離の先の、一体となった「無」がもたらす感覚(=究極のリラックス?)が大事なのかなと。

 

そう捉えると何でも面白くて、恋愛だって融合?が目的?だし、何事も「上手くいく」ってのはスムーズさ=摩擦のなさ、つまり究極的には一体感が好ましいってことなんじゃないか。

 

知らんけどニヤニヤ

 

 

と、ここまで明文化できたなら、簡単にその感覚に意識を移行できる気づき

 
そうやって「非二元」にチャンネルを合わせ続け、更にその体感を深めていきたいウインク
 

 
読んでくれてありがとうびっくりマーク
二月も半分が過ぎた…驚き 残りを充実して過ごされますように虹