こんなことが続いた。
✔欲しいというか必要なものがあったので、ネットで見つけてカートに入れて、支払い情報を入力している最中に在庫が切れたとのことで、手に入れられなかった。
✔ずっと欲しかったものに条件が合うものを見つけて、オークションなのでまだ手に入ってないものの、焦りや執着が出てきた。
前者ではがっかりと執着を、後者では勿論焦りも執着も手放して、今まではこれでおしまいだった![]()
今回はふと気になって、冷静になってから思い返して腑に落ちた。
どっちも、モノを手に入れたor手に入らないが大事なんじゃじゃない。
本気で目を醒まそうとする意識が、「欲しいモノ」を使って現実を作り出して、自らのもつ周波数を炙り出したんだと。
「モノ」は表象、ただのシンボル。
「モノ」があるから気分がいいとか、「モノ」があるから良いとか、そこは重要じゃない。
「モノ」や起きた事柄を通して、どんな信念や観念、周波数を使っていたかに気づいて手放してく。
そのレベルで「現実」を捉えるーそれが今回の私の学びなんだと分かった![]()
そしたら、どっちも執着が根こそぎ外れて、本当に手に入るかどうかがどうでもよくなった。
となれば、逆説的に手に入りそうな予感がする不思議
どっちでもいいんだけどね~。
「どっちでもいい」からこそ、どうとでもなるし、どうにでもできる!と何故か力が湧いてくる![]()
でもそれよりも何よりも、現実の仕組みをちゃんと腑に落とせたことが嬉しくて感動![]()
今までべったりとくっついていた「現実」との間に隙間ができた気がして、それも嬉しい。
この気づきを基にすれば、「モノ」の有無や動向が全く・一切、私の幸せに関わらないと分かる。
私の喜びは、目醒め。
「現実」は全て、目醒めるべく、ただ使うもの。
今までの「現実に反応」ゲームから、魂の望みである「目醒めが喜び」ゲームへと、今私は喜んで立ち位置を移そう![]()
今回の学びもしっかり板につけて、来る秋分を最高の自分で迎えたい![]()
読んでくれてありがとう![]()
急に涼しくなって有り難い
秋を楽しみましょう!



