今の私は「現実はただの中立なスクリーン、私が周波数をくっつけてるだけ」を完全に板につけるべく励み中指差し

 

そんな中、九月九日を前にして、ひとつトラブルを経験した。

 

 

久々にウワッと溢れた周波数を一通り統合した後、ふと「私はトラブルを起こした相手に対して、どう感じてるんだろう?」と思った。

 

思い返してみれば、相手には何も思ってなくて笑、それよりも自分のアク?というのか、自分の周波数に呑まれそうになって、そっちのがしんどかったと気づいたほっこり

 

そこで改めて周波数を丁寧に外していくと、怒りも憎しみも恐怖も不安もただの周波数で、「私が選んで体験して、私が選んで手放す」と、淡々と自分に集中する状態になった。

 

 

「相手が悪い」だとか「やり返したい」だとか、『100の位置』にいると全然感じられず、何でもただの周波数だと手放すうちに、トラブルの相手への怒りが消えてしまった。

 

何となくだけど、このトラブルは、この地に縁ある私の古いカルマが関係しているのにも気づけて、それで尚更「これは、この相手に直結した感覚じゃない」と執着が外れたのもあると思うほっこり

 

すると、トラブルの相手が「悪役」をかって出てくれたことに感謝が湧いてきて、愛を贈りたくなったので遠慮なくそうして笑、気が乗ったのでアワ歌も歌って、その日はご機嫌で眠った。

 

 

翌朝、心の中を確かめてみると、私の中からトラブルの相手が消しゴムで消したかのように、そこだけ消えてビックリしたびっくり

 

周りもフラットに、でも色づいて見えるのに、トラブルの相手だけが白いモヤ?のように消えて、どんな人だったのか、どれだけ嫌だったのか笑 も思い出せない泣き笑い

 

トラブルも嘘みたいに収まって、キツネにつままれた気分。

 

でも、きっとこういうものなんだね。

執着が外れると、こうなるんだと思う。

 

 

私淑する並木良和先生がこう書いていらして、

これまでの感情体験が『遠い世界』のように感じられ、一気にフラット感を増すことになるのです。

つまり、人や物や出来後を含めた現実に、アタッチしなくなるので、立体的(デコボコ)なリアリティーを感じられなくなっていくわけです。

 記事を読んだ時は意味分かんなかったんだけど、今は少し分かるような気がした。

 

多分、100%意識をハートやみぞおちに集中して「心の眼」で現実を眺められるようになれば、そんな風に捉えられるんだよね。

 

ま、いずれはそんな風になれるとして、今回の学びー現実はただの中立なスクリーン、私が周波数をくっつけてるだけーを更に板につけるべく、目の前のことに集中していきたいニコニコ

 


 

読んでくれてありがとうびっくりマーク

素敵な夏の夜を過ごされますようにトロピカルカクテル