ジャッジ・批判非難の激しかった私も、だんだん統合できてきたのか、色んなことがあんまり気にならずどーでもよくなってきた![]()
そんな感覚のまま自分を観察していると、何かをあーだこーだ言いたくなるのは対象が気に入らないからだと思っていたのが、もっと掘り下げていくと、ホントは自分にとってどーでもいいことに対して何故か言いたくなってると気づいた。
…ってことは元々どーでもいいことと、気にかかるけど実はどーでもいいことを合わせると、私にとって世の中のほぼ全てがどーでもいいんだと理解して愕然とした
冷たいとか情がないと言われるのを気にしてたけど、ホントは私、キャパの小さい奴なんだよな。
そんなこんなで(?)、今は「起こるに任せる」在り方がフツーになった。別名「どーでもいい」とも言う
必要な時に必要だから起こるし、必要ない時は必要ないから起こらない。
それを信頼してるから、そこからはみ出して無理やり何かを得ようともしないし、逆に何かを失っても掴まなくなった。
それぞれに理由があって、それは私の意識では捉えられないレベルのものかも知れず。
なら、今確かな感覚を頼りにするかな、といった感じ。
物事を選ぶ基準も、例えば「可愛い」から「欲しい」だったのが、「必要」だから「欲しい」に変化して、一喜一憂せず無駄なく過ごせるようになった。
この感覚のベースにあるのは「信頼」だと思う。
何があっても大丈夫、何がなくても大丈夫
そんな自分自身への信頼があって、根拠不明なのに「ある」んだから仕方ない
あんなに「無い」と思い込んでいたお金も何故か沢山「ある」から、それを目の当たりにしたエゴも黙り込んでしまう。
そんなこともあって、ますます「これでいいんだ」と自信を深め、更に好循環は続くから、この先も期待大だな。
…っていう「期待」手放して、もっともっと自由になっていきたい
読んでくれてありがとう
いよいよ万博開始、ワクワクするけど一度も行く予定なし
参加される方は楽しまれますよーに
