今年の夏は、パリ・オリンピックを見ていた。

時差の関係で途中から生放送はリタイアしたものの、選手たちに深く感銘を受けた。

 

スケートボードの堀米選手や体操男子団体からは、最後まで諦めない精神の強さを。

柔道団体戦の高山選手からは、あんなに体格差があってもやれるんだという可能性を。

スポーツクライミングの安楽選手からは平常心(不動心?)と脱力を、森選手からは何かのせいにしない心の強さを。

 

他にも沢山いらっしゃるけど、若い方々から本当によく学ばされた。

 

そしてそのエッセンスが、これからの激動の時代に必要になるとも感じた。

 

 

今世での私の学びとして、「委ねる」がある。

 

本音を力でねじ伏せて、自分や状況をコントロールしようと生きてきたから、

何かあった時に未だにエゴがごちゃごちゃしようと動き出す癖が出る。

 

先日もそんな袋小路に行きあたってもがいていたら、意識場(=オーラ)からくすくす笑いが聞こえた。

 

途端ふっと力が緩み、「あれ?何で私こんな小さくギュッと力んで、要らないもの握ってるんだろう」と、

オーラ全体に意識を向けて、意識のフォーカスを広く大きくしてみた。

 

すると、まるでオーラ全体がふわっと私を受け止めてくれるクッションみたいに感じられ、

そこでリラックスしてオープンになっていればいいんだと分かった。

 

オーラ全体で生きていくというのかな、そんな感じ。

 

 

そしてそのオーラから、何かまた掴もうとすると「先を見ろ」と教えてもらうようになった。

 

「先を見ろ」というのは「流れのその先を見ろ」ということで、

今の状況だけでジャッジして固執しまうのではなく、余裕をもってゆったりと存在するということ。

 

その先の可能性にオープンでいること、最善に導かれると信頼し委ねていること。

 

一見悪い結果に見えても一喜一憂しないで、またその先へ視線を向けて、今最善を尽くすということ。

 

宇宙は間違わず、起こる全ては完全で完璧だと識っていること。

 

 

その見方を知ってから、随分楽になったニコニコ

 

激しい感情をすぐに統合出来ない時も、「先を見ろ」と言われてボーっと眺めていると、感情は流れに乗って薄れていく。(落ち着いたら、すぐ統合します。)

 

人に対してイライラする時も、「先を見ろ」と言われると視野が広がって、相手を信頼して見られるし、

自分も相手も魂の成長を望んでいて、今ここが手放しどころだと分かる。

 

それだけで、かなり違うもんだ気づき

 

自分にも、相手にも、優しくなったのかもしれないな。

 

そんな感覚のまま、どんどん軽くなって、軽く手放して、もっともっと新しい可能性に出会いたい。

 

今、目の前に「これでもか!」と次のステップへの課題が現れていて、それがとっても大変だけど嬉しくて、ニヤニヤしちゃう。

 

目の前のことを一つずつ積み重ね、今を充実させて、未来につなげていきたい。

 

宇宙の完全性に身を委ねながら―。

 


 

読んでくれてありがとうびっくりマーク

素晴らしい三連休最終日を過ごされますように虹キラキラキラキラ