ふと「こうなりたい」「あれがしたい」「あれが欲しい」等、そんなことに思いを馳せていると、

何か掴んでしまっているような、自力で何とかしようとする自分がいるなと気づいた。

これって執着になりがちかもと思ったほっこり

 

それは重いし固いし違う…じゃあ何だったらいい?と自問自答して浮かんだのがこれ。

 

肚の奥の光のような暖かな波に押し流されるように、

エゴによる自力じゃなく、もっと大きな力にゆったりと委ねたい。

 

それは湯舟にポカンと浮かんでいるような感覚キラキラ

 

「ああなりたい」だとか「こうしたい」を手放し、良いなと思ったらチラっと見る位にして、

もっと大きな流れに身を任せ、信頼し、ゆったりと在りたい。

 

もっと良いもの、素晴らしいものに出会うかもしれないしねてへぺろ

「それ」に執着しなくてもいい。

 

出会うのは、魂の本望に沿うものだけ。私の本当に歓ぶもの。

 

そう知り、そう信頼して、そんな意識で、

惹かれるものや必要だと感じられることは行い、次の展開を楽しみにしていたい。

 

偶然やシンクロをハイヤーセルフからのメッセージとして受け取れるようになった今、

大きな安心感に包まれ、ゆったりとここに存在できる。この歓びよ。

 

さて、この次は何に出会うんだろう。

大きな波に押し出され、流され至る地を楽しみにしていよう。

 

 

余談ですが…

いつも思いだすのが、マンガ「真夜中の弥次さん喜多さん」のとあるエピソード。

弥次さん喜多さんが夢の中で川に流されアタフタするものの、

最後は綺麗な泉に辿り着きゆったり浮かぶ、みたいな。

あのイメージがずっと浮かぶから、私にとっては「真実」なんだろう。そんな感じですウインク

 

それでは、いつも読んでくれてありがとうハート

一月も後半戦、とっても充実させて参りましょうニコニコ