あっという間に八月![]()
今日はとっても嬉しい気づきがあった![]()
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私は昔から家族、特に親に対して、
肯定的な感情を持つのはなかなか難しかった。
よくイラっとして●したくなってたしね![]()
魂レベルでは自分で選んだ人達なんだろうけど、
今は選んでない、嫌だ!(笑)って思ったことは
誰にでもあるんじゃないかと思う![]()
とは云え、私にとって親は最重要課題って訳では無く、
並木良和先生の統合ワークも
家族関係をどうこうしようとして始めたものでは無かった。
去年の冬至に「目醒めの扉」が閉じた時も、
目醒めを選んでないように見える家族とは
切り離される?切り捨てる?ような感じで別れるのかなと思ってた![]()
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それが、
何となく欲しいとは思ってたけど気に入るのがなくて
半ば忘れかけていた聖母マリア像に、アンティークショップで偶然出会い、
私のは思い違いだったようにふと感じた。
私はこの像を見た瞬間に「マリア像だ!」と直感したけれど、
普通マリア像は聖母マリアのみかキリストとの二人が多いはず。
これは三人いるんだよね。
誰だろう…?って思ってたけど、子はイエスじゃない感じがする。
聖サラでもなく…三位一体ってことなのか![]()
分からん。
それはさておき、
私は一人っ子なので親を含め三人家族。
この像の持つ穏やかさに、
何だか本当の「家族とは何か」を示唆された気がして、
もしかしたら今とは違う、
もっとホッとした統合されたものになるんじゃないか、そんな気がした。
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そして、今日![]()
朝早く親戚の訃報を聞き
グラグラに動揺している家族を見て、ふと思った。
「揺れる姿、その在るがままを認めよう」。
そして、くったり疲れて横になる姿見た時に、
仲間だ と感じた。
論理的に説明できなくて申し訳ないんだけど![]()
つまりは、
今同じ場所で同じ時を生き、
同じ経験を共有している
そういう仲間。
特に親戚の訃報という「家族」ならではの経験の共有は、
それを意識させる。
別に分かり合えてなくたって、
同じ思いをしていなくたって、良いんだよね。
熱い想いや絆なんて無くてもいい![]()
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ただ、今ここに居る仲間。
そう思えたことで、
今ようやくやっと家族に本当の意味で向き合えて、
本当の意味で大切に出来る気がする![]()
相手を尊重できる
良い距離がとれるようになったんだと思う。
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私が書いた「仲間」の定義は、
勿論今の世を生きる全ての人に対しても適用できるんだよね。
多分家族と世間との違いは、その濃淡だけなんだろう。
また書くけれど、
私は今、世に起こることを他人事だとは思わない。
だからこそ、
今を生きる全ての人へ、仲間へ、エールを送ります。
どんな立場、どんな状況であっても、
それぞれの選択を尊重し、敬意を払います。
この世に今に在れる感謝を込めて![]()
…と、自分でも思いがけない着地点にてこの記事終わり![]()
読んでくれてありがとうー!
以上、おしまい![]()
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