私は小さな頃から絵を描くこととお菓子を作ることが好きだった。

広告の裏やカレンダーの裏、紙があればとにかく絵を描いていた。

そして、元来の食いしん坊から、自然と「自分のおやつは自分で作る」ようになっていた。


3人兄妹の真ん中だった私は、ちょうどよく両親に放っておかれた。

中学生になるころにはお菓子作りの腕もあがり、

なにかあるたびに友達に、お菓子に絵を添えてプレゼントしていた。


お菓子作りの腕を上げたくて何度もつくったケーキたちは、

家族やご近所さんに配っていた。

たまごやさんからはB級品の卵をもらってケーキを焼き、

それをまた誰かに届ける。

商品にならないいちごをもらって、代わりにレアチーズケーキを渡す。


そんな子どもたちの愛らしい、夢のような物々交換はしばらく続いたけれど——

いつしか私は、プレゼントしたときの相手の笑顔や、喜びの声、

嬉しそうに食べる姿を見ることが、この上ない喜びへと変わっていった。


気づけば、何ももらわなくても、自分から与えていた。


今もなお、私の原体験が、たくさんのアイデアの源になっていることに気がついた。


目の前のことをこなしていると、ふと

「なぜ、私はこの仕事をしているのだろう?」と

やるせない気持ちになることがある。


それは思ったように結果が出ないとき、

他の人と自分を比べてしまったとき、

がんばりすぎて世界のやさしさに気づけなくなっているときに、よく感じる。


でも本当は——

世界はやさしさに満ちていること。

私は充分な存在なんだということ。


それを忘れてしまったとき、私は意味もなく気分が悪くなる。


気分が悪くなったときは、

無理にポジティブに変換しようとせずに、

ただひたすら、自分の想念を包み込んであげる。


この感情はどこから来るのだろう?

しばらく味わい、否定せずに、

手のひらにそっとのせて見つめてあげる。


時には胸のあたりがぎゅっとしめつけられる。

背中がザワザワするときもある。

それでも、その感覚を抱きしめて、

ただそっと、いまの私に寄り添う。


ゆっくりと呼吸して、

やさしい気が体を循環するように感じてみる。

そうすると、次第に緩み、癒されていく感覚になる。


そして、思い出すのだ。


私の原点は、

誰かが笑顔で、キラキラした光に包まれるあの瞬間。

そして、わたし自身も柔らかな微笑みを浮かべていたあの感覚。


過去の私が、今の私をちゃんと支えてくれている。

その記憶が、また新しい朝へとつながっていく。