今日は、お友達からお誘いを受けて
りょうまの妹たちを連れてブルーベリー狩りに行ってきました
ブルーベリー狩りの場所はりょうまが入院していた病院を越えてさらにずっと先…
入院中のあらゆる思い出の場所を通過していかなければならず、
自然といろいろ思い出します。。。
反対車線を救急車が走ろうものなら、救急車に乗ったあの日の私とりょうまにすれ違ったような錯覚さえ起こしてしまいます。
(この思い出の道は情緒不安定になりすぎるので、自分では運転できません。私は助手席です)
りょうまは救急車に3回乗っています。
1回目は自宅でけいれん発作を起こし、救急病院に搬送され、
2回目はその救急病院から入院先に搬送。
3回目は病院を転院になり、救急車で移動しました。
その3回とも付き添いは私で、今でもハッキリクッキリ救急車から見た光景を覚えています。
道順をなかなか覚えれない私があの日の道筋だけはハッキリ覚えています。
また稜真は頭の手術、開頭手術も3回行っています。
帝王切開の手術だけでも、怖くて痛くてとても長く感じるのに、
頭の骨に穴をあけて脳をさわるなんて、、、
想像しただけで私は耐えれなくなるのに、
そんな手術を3回も頑張ってしてくれました。
わずか数か月の間に、約10時間にも及ぶ手術を3回も。。。
私は病気を治すことに必死になりすぎて、このときのりょうまの本当の気持ちに寄り添ってあげれなかったことが
今でもおおきな後悔となって残っています。
痛い、ツライ思いをさせてしまって本当にごめんね。
たくさん頑張らせたのに、助ける方法を見つけることができなくて
本当にごめんね。
10時間近くに及ぶ手術を待つ間、
私と主人は何も手につかなく、
ただ黙々と鶴を折っていました。
千羽鶴を。
心の中で奇跡が起きるように必死で祈りながら
ただ、ただ鶴を折っていました。
気が付けば
たくさんの人たちが鶴を折ってくれるようになりました。
鶴を折ってくれる人=りょうまの奇跡を祈ってくれる人
日に日にその数は増え、
りょうまの通っていた幼稚園でも
ママ友が協力を呼び掛けてくれて
私と稜真を知っている人も
学年が違い私と稜真のことをあまりよく知らない人も
…たくさんの方々が奇跡を一緒に祈ってくれました。
でも、それでも、
神様は奇跡を起こしてくれなかった。
りょうまはお空に。。。
私の手元に届いた千羽鶴は
大きな紙袋5袋?6袋?くらいありました、たぶん。
りょうまにみんなが祈ってたこと伝えたくて、棺にいれようとしたら、
多すぎて高温になってしまう、高温になると子供だし骨が残らなくなる。。。と言われ、
一部だけを棺に入れ、
残りは最近まで家に保管していました。どうしたらよいかわからなくて。。。
でも最近になって天使ママつながりでお寺のご住職の奥様と知り合い、
お焚き上げをしてもらってりょうまのそばに届けてもらうことができました
本当に感謝です
本当にりょうまも私も周りの方々に助けられていると感じます。
本当にありがとうございます。
りょうまが手術の間、黙々と鶴を折りながら主人と2人で聞いていた曲です。
貼り付けることはできても、
まだ全部聞く勇気はありません
強く強く信じていた、、、私たちは奇跡をおこせると。。。
諦めず、強い心をもっていれば
どんなときでも笑顔でいれば
大丈夫!きっと大丈夫って。
コブクロ「奇跡」