忙しかったよ9月・・・ | 中古マンション購入からリフォームまでの記録

中古マンション購入からリフォームまでの記録

中古マンション買いました。おサイフと相談しながらどこまでリフォームできる?は2010年くらいまでです。
以降は、買った家電とかおうちグッズとか旅行とか、おひとり様50歳の日常です。

フォロワーさんはプロフィールが詳細であるかブログをやってる方のみです。

2023年10月3日

やはり忙しかったよ2023年9月。

 

22日金曜日に実家に帰って泊まり、翌日は中学の同期会へ。当時新卒で受け持ってくれた担任に40年ぶりに会う。今思えば彼女は大学を卒業したての育ちのいいお嬢様であった。一方私達は大人は全部敵だと認識する中学生、容赦なく全力でぶつかり、毎日何かしらの事件を起こしていた(校舎の窓ガラスが全部割れていた時代)。今となってみれば、先生と私達は10歳くらいしか変わらない。私達はそれぞれが自分が23歳だったころの精神状態を思い出し、なんてひどいことをしていたのか、なぜ無理難題を解決しろと言っていたのかと反省しきり。代わる代わる申し訳なかったと頭を下げた。

 

そのまた翌週も金曜日に実家に帰って泊まり、翌日は新幹線で北海道へ。母と3姉妹の4人旅になるはずが、姪がこのタイミングで産気づいたため、いきなり長姉が泣く泣く行くのをあきらめるというハプニングが発生する。

北斗駅につくと何故か母が昔食べた海鮮丼を食べるのだと張り切っており、レンタカーで水無温泉へ。母の知人が調べたという電話番号に電話をしてみると、温泉ホテルの軽食エリアだという。海鮮丼はないですよね?と聞くと「ありますが?」という返事。恐らく母の記憶にある海鮮丼はこれではないだろうと思いながら、母を説得する材料がなく、三人でホテルを訪問する。日帰り温泉の食事スペースに入り込み、海鮮丼を食べる。1100円。母は記憶があいまいで、これなのか違うのかわからんとのこと。

 

これで1100円とは流石北海道。

その後函館に戻り、いとこの家へ。いとこの家では数年ぶりに母と母の姉とが再会する。十年前にクモ膜下出血で倒れ、担ぎ込まれた病院で暴れながら看護師さんに三本の指でカンチョーをした伝説の叔母は、すっかり穏やかな顔になっていた。後遺症もボケも多少あるのだろうし、車いす生活で不自由もあるのだろうが、ニコニコと皆の思い出話を聴いていた。どうやら耳はいいらしい。

 

この間、母は先ほどの海鮮丼の影響で体調を崩しており、ギリギリの状態だったらしい。夕飯はスーパー魚長さんでお惣菜やカップ蕎麦などを買い込み、北斗駅近くのホテルの部屋で食べた。

 

翌朝体調を回復した母を連れてお墓参りに向かう。お墓のある町は、大変な田舎町で、道路にさらっと蛇が死んでいたりする。墓場には「熊が来るからお供え物は持って帰って」という看板が出ており、先祖供養も命がけだ。母の従妹も合流し、熊とカラスを警戒しつつ墓参りをすませて、函館に戻る。

 

この後、私だけは飛行機で函館空港から羽田に向かう。函館駅でバスを待つが、長袖一枚だと涼しすぎる。カーディガンをはおって首にスカーフを巻いて丁度いい感じ。時間があったので、函館駅前横丁で時間をつぶす。

薄っすら記憶にある懐かしい券売機。

 

函館空港でも時間があったので、「1854HAKODATE」の晩酌セットをいただく。ビールの種類が選べて1500円。

塩辛とクリームチーズ、ブロッコリーの下はカレーソース、枝豆、骨付きソーセージ、はこだてビール、お得だ。はこだてビールが美味しくて、SORACHI1984も500円で追加してみた。あと、すき焼きやさんとコラボしたサラダ300円も追加。

写真はキュウリとトマトを食べたあと。レタスはたくさん入っていたしドレッシングも美味しかったけど、このサラダのどの辺がコラボなのかはわからず。

このあと飛行機は無事に飛び、新幹線組よりも早く自宅に着いた。

翌日、うちのお墓のある町を調べたら人口4000人を切っていた。どうなるんだろうかあの町。

 

実家のワンコ。少し見ない間にぽっちゃりさんに・・・。