ウイズ東淀川5月レポート | ウイズ東淀川のブログ

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平成6年7月から、東淀川区において結成された、コミニケーション・ボランティア・グループです。
奇数月の第二日曜を定例会とし、【共生】を理念として、共に語り・共に学び・共に遊んでみませんか「をキャッチフレーズに、誰もが集える」場を提供しています。

平成30年5月13日 ウイズ東淀川定例会

テーマ: ボラセン30年つかってしまって、しまったこと、よかったこと
脇坂博史(わきさかひろふみ)氏

 

 大阪市社会福祉協議会(以下、「社会福祉協議会」は「社協」と表示)では、
1968年から「地域福祉活動モデル地区」事業をはじめ、1988年の終了までに、
当時310校下社協のうち、130社協を指定しました。これらの活動が、大阪市における
地域福祉活動(ボランティア活動)の源流になっています。
1987年11月、現・大阪市立社会福祉センターが開設されますが、その前の3月に、
センター建設のため移転していた元身体障害者福祉センター(現・ピースおおさかの
場所)で、大阪市ボランティアセンター(以下、「ボランティアセンター」は
「ボラセン」と表示)が開設されていました。

 

企業の社会貢献活動の活発化
 日本では、1990年をフィランソロピー元年といわれています。これは経団連
(経済団体連合会)が、アメリカでの活動をモデルに「1%クラブ」の提唱を
したためです。これを機に活動への姿勢は変化します。例えば、サラリーマンの
ボランティアに対して、当時はまだ携帯電話が普及していませんでしたので、
「至急のときに会社へ電話してもいいですか?」と聞くと、80年代は「それは絶対
しないでください!」でしたが、90年代になると「ああ、いいですよ」に代わって
いきました。ボランティア活動がそのように社会で受け入れられるように
なっていったのです。
1991年になると、企業からの問い合わせがはじまりました。大企業はそれまでも
社会貢献活動に関心はあったのですが、地元住民への貢献を考えると、どのように
アプローチすればいいのか行き詰りました。そこで担当者はいろいろ調べ、社協という
組織に当たります。しかし、社協に企業から問い合わせがあるということはそれまで
あまりないことでしたので、少々まごついたのも事実です。半年ほどの間に14~5社から
連絡があり、このままにしておくわけにはいかないということで、9月に
「企業ボランティア活動担当者懇談会」を開催します。そういう流れは労働組合の
社会貢献活動へも影響していき、企業のボランティア活動調査や、社員や労働組合員
などへの講座開催などを通して、大阪市ボラセンは広範なネットワークが結ばれて
いきます。そして、1999年にはじまる「ボランティア・市民活動フェスティバルin
おおさか」(大阪城公園・太陽の広場)の開催などにつながっていきます。

 

夏休みのボランティア活動の展開
全国的に展開されていた福祉協力校を通じて、夏休みに子ども達が社会福祉施設で
活動する流れはありましたが、大阪市ではこの取り組みがなかったことから、社協独自で
展開していくこととなり、小学3年生~高校3年生が夏休みに福祉施設で3日間活動する
「福祉ちょっと体験スクール」が1993年から開始されました。初年度から760人の
申し込みがあり、2年目に1,000人、1999年には2,600人をそれぞれ超え、
関心の高さがうかがえました。
また、高校を卒業した方々からも参加したいという要望を受け、1998年から
18歳以上版として「実感ボランティア・夏場所」をスタートしました。

 

 しかし施設での活動では、10時から16時くらいの活動になります。高齢者や障がい者を
理解するには寝食をともにすることも大切ではないかという視点から、2003年から、
子ども達と障がいのある方々が一緒に参加する2泊3日の「キャンプ(宿泊)プログラム」
を導入しました。最初は戸惑い気味の子ども達も、徐々に慣れ、3日目には車いすの
介助や視覚障がい者への手引き、食事の世話などを積極的(取り合うように・笑)に
おこなうようになりました。

 

情報誌の発刊
 90年代になり、社会人のボランティア活動が盛んになっていきますが、情報の提供は
充分ではありませんでした。「活動をしたいがどこに行けばよいのか?」「どういう
活動があるのか?」という声も聞こえてきました。どうすれば情報を届けられるか・・・
そこで駅頭に配架すれば、通勤途上に取ってもらえるのではないか。ということで、
1994年4月に ボランティア活動情報誌「COMVO」の発行がはじまりました。
写真を軸にした編集で予想外の反響があり、特に障がい者の方から「どちらかというと
イメージが暗い活動がライト感覚で紹介され嬉しい。障がい者の施設にも
配布してほしい」というものでした。
 当時の大阪市交通局の協力もいただき、地下鉄全駅に配布させていただくところから
スタートしました。

 

「サロン活動」の推進
 冒頭の「地域福祉活動モデル地区」を担当するなかで、地域活動にもっと高齢者、
障害者など、いわゆる当事者の参画が重要だと考え、1987年から始まっていた
「サロンあべの」の活動を広げたいと考え、主宰の冨田慶子さんに相談。
「ぜひ拡げてください」との力強いエールをいただき、淀川区社協と連携し、1994年に
「サロンよどがわ」が始まりました。1か月後、「ウィズ東淀川」もスタート。
こうして、なぜか2年間に2か所のペースで広がり、最大時は大阪市内12か所で
サロンが行われました。
これらの活動は、1997年「第33回全国身体障害者スポーツ大会・ふれ愛ぴっく大阪」で、
「ふれあいフレンド」に結実しました。これは、それまで観客の全くいない大会の
繰り返しでしたが、大阪での大会で応援団を作ろうというものでした。サロンの
メンバーを中心とする実行委員会には、さまざまな障がいのある方々も参画。
大会では400~500人の観客が長居競技場に集まりました。一番喜んでいたのは、
競技をしていた選手たちだったのが印象的でした。

 

ネットワークに感謝
 約30年のボラセン活動で、多くの方々と多様なネットワークができました。
 心から感謝しています。