ウイズ29・3レポート | ウイズ東淀川のブログ

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平成6年7月から、東淀川区において結成された、コミニケーション・ボランティア・グループです。
奇数月の第二日曜を定例会とし、【共生】を理念として、共に語り・共に学び・共に遊んでみませんか「をキャッチフレーズに、誰もが集える」場を提供しています。

3月12日、淡路自由空間倶楽部において、【パラトライアスロンチャレンジャー】と題し、白江淑浩「しらえとしひろ」氏「弱視」をお迎えし、お話を伺いました。
こんにちは、白江と申します。

☆8歳の時に緑内障と診断を受け、両眼を手術。
☆ 18歳(高校3年)で右眼を失明
☆ 38歳頃から更に人の顔の認識が難しくなった。
☆ 1999年に国立神戸視力障碍センターにに入所し、 現在は、左眼の弱視を保ちつつ、鍼灸師として開業。

<<子供のころの話>>
こんにちは、今回鈴木さんからお話をいただきまして、トライアスロンをしていたことがありまして、「今はちょっとお休みしています」ですが、それについて話してほしいと言う事で来させていただきました。

白江淑浩「としひろ」と申します。1958年生まれで、58歳。川崎市で生まれ育ちました。8歳の時に眼科で緑内症という診断を受け、両目を手術しました。その時の視力が、右が0、15で左目が0,3だったと記憶しております。当初もう少し早い時期からよく見えてなかったんですが、小学校の1年のころは、「この子はなかなか字が読める様にならない子だ」と親から言われて、僕は見えあないんだと主張してたんですが。「笑い」小学3年にもなりますと、さすがに、本当に見えてないんだとなりまして、すぐ手術をして、1ヵ月半ぐらいの入院。半年ぐらいは体育はしない様にとは、目に圧力がかからないようにとのことでした。18歳の時に右目の視力を失いました「高校三年。この時、感じたのはこれからどうなって行くのかなあ?右目の視力を失くした時に左目もかなり視力を失ったんです。」。今は少し回復しています。現在の視力は右が0で左目が0,03ぐらいといいうところです。人の顔を認識できるのは30~50センチぐらいです。外で会って、分ると言うのは難しいです。他の情報で分ったりするんですけど。そういった状態で、当時はタバコ屋の店番ならできるけどお金がちゃんと見えるかなあという。などと考えたこともありましたね。

<<ボランティア活動を始める>>
その後、社会に役に立つようなこともしなければと思いまして、18歳ぐらいからボランティア活動を始めました。ユースホステルヘルパーの奉仕活動のチャンスに恵まれましたり、色々過ごしてきました。

<<トライアスロン>>
今回はトライアスロンの話を中心でお話したいと思います。トライアスロンとは、3種類の協議をして、順位を決める協議です。一つはスイム「泳ぎ」・バイク「自転車」・ラン「走り」この三つの競技となっております。トライアスロンには色々カテゴリーがありまして、日本でも小学生一年生から75歳あるいは80歳もあるかも知れませんが…。そういう年代別で公式戦では争うんです。もちろん、小学生だと距離は短くなっていると思います。皆さんがよくイメージされるのは距離も長いアイアンマンレースというもので、バイクが180キロメートル・ランが42、195キロ。一番初めにスイム約3,8キロなどいろんな距離があります。そういったなかで、すごく楽しめているスポーツでこれからどんどんジュニアの育成もしていく競技だと思っています。

プロとは違う競争ができると言う事ですね。海外ではかなり有名で日本代表という人もおられます。75歳以上で国内で優秀な成績の人はジャパンの代表にもなります。
でもそんな中の戦いで、年代別で日本代表というのがありまして、75歳以上で日本国内で優秀な人は国際大会でジャパン野代表で、プロとは違う戦いができると言うことですね。

オリンピックに出る人は皆プロの選手なんですけどプロの競技距離を言うと泳ぐ距離が1500メートルバイクが40キロランが10キロ。世界最高峰の選手の記録は約2時間ぐらいの競技で、スピードもものすごいものです。それがオリンピックディスタンス「距離」ですね。プロの世界選も各地で7選とか8選行なわれています。代替それが基準でたまにスプリントと言ってその半分の距離でプロもなん専科行なっています。そうすると1時間ぐらいの競技になるんですけども、更にスピードアップするんです。
どっちがいいとかではないんですけど。それはそれのスピードかんとか受給力が求められる競技です。そのなかで、僕は視覚障害者でありますので、パラトライアスロンという競技に出場しました。パラトライアスロンにはカテゴリーがありまして、両下肢が使えない方と蚊、視覚障害の方だとかいろいろなカテゴリーがありまして・・・
ここでQ:聴覚派ないんですか?
A:聴覚障害者はパラには入らないんです。身体の能力は健常者とそん色ないんで・・・・。ただその人達は一般の競技に参加します。パラトライアスロン二なると道具が変わってきます。たとえば、視覚障害者の場合は一人で泳いだり、一人で走ったり、自転車に乗ったりできませんので、ガイドという人と共同で行ないます。自転車はタンデムという二人乗りの自転車で、前に乗るガイドをパイロット、後ろに乗る視覚障害者をストーカーと言います。泳ぐときには、伴泳ロープで、延び縮みしないもの。この基準は変ることもあるんですが、それを繋いで泳ぎます。大会によっては異なるんですが、海とか湖と蚊池などが多く、流されることもあるので、かなりしっかりしたロープで、それを頼りに泳ぎます。水泳の場合、伴泳者が前を泳ぐこともあります。前を泳いだからと言って早くなるわけではなく、場あらんすが崩ますので、となりで同じ速度で泳いでくれるのがいいかなあと思います。ランにおいては、伴走ロープを
持って「ひもの長さが1メートル以内」と決められています。通常日本では、それを輪っかにして使っています。今日持ってきたこの輪っ蚊を使います。

等々多岐にわたって話しに花が咲きました。

なお、獲得したアジア大会の金メダル、日本国内大会のメダルなど写真で紹介しております。

 

 


☆パラトライアスロンに53歳でチャレンジしてみたら、
日本代表としてアジア大会で金メダル。
ロンドンでのグランドファイナルで14位