ウイズ9月レポート | ウイズ東淀川のブログ

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平成6年7月から、東淀川区において結成された、コミニケーション・ボランティア・グループです。
奇数月の第二日曜を定例会とし、【共生】を理念として、共に語り・共に学び・共に遊んでみませんか「をキャッチフレーズに、誰もが集える」場を提供しています。

  テーマ:盲導犬との出会いと駅転落事故について
  パネラー:中世古 幸秀「ゆきひで」氏 「全盲」「盲導犬使用者」
  ☆昭和25年生まれ「全盲」
  盲導犬サーブ「*参照で有名な 社会福祉法人 中部盲導犬協会からの貸与で、1頭目がマリー、二頭目がソフィア「現在」
   盲導犬歴16年
   専攻科理療科卒業後は自宅開業
  ☆30歳で結婚
   結婚後5年で盲導犬をもらう。
  ☆大阪へ来るきっかけになったのは、次女が多くの病気をかかえており、大阪の病院
   へ通院するためであった。二男二女の六人家族。

   こんにちは、生野区から参りました中世古幸秀「なかぜこゆきひで」と申します。よろしくお願いします。
  昭和25年1月8日生まれです。今来ました女性が恵子と申しまして、私の妻です。
 私は生まれた時からの全盲で、三重県立盲学校の1年から専攻科「鍼灸マッサージ課」を卒業し、自宅開業したんです。田舎にいると、色々役員をしろと言われ、ちょうど青年部部をしていた頃、偉い人を呼んで話を聞こうかという事になったんです。皆が「盲導犬のこと知っとるか?」と聞くと、皆知らない人が多かったんです。
  そこで、中部盲導犬協会から講師を呼ぼうじゃないかという事になったんです。中部盲導犬協会はサーブで有名ですよね。サーブを育てた盲導犬協会なんです。「お前訓練に行って来い!」と言われたんです。サーブがまだ生きている時に一頭目のマリーの訓練を受けました。マリーは施術所やホテルへの出張などに利用していました。もう一つの理由は子供たちが保育所に行くのに利用し、通産10年間盲導犬と共に保育所に通いました。

  ☆ニュースではーー2016年9月4日 8月15日、東京メトロ銀座線の青山一丁目駅(東京都港区)で、盲導犬を連れていた世田谷区の会社員、(55)がホームから線路に転落し、電車にひかれてその後死亡した。
  ーーここで、盲導犬のハンドルを右に持つか、左に持つか、盲導犬協会によって別れるとの話があった。中世古さんは場面「駅の形状が片側ホームと両側ホームによって違うが線路側に盲導犬が歩くようにハンドルを右に持ったり、左に持ったりしているとのこと。
  東京メトロ銀座線の青山一丁目駅では、このようなことが行なわれていなかったのではないかという意見であった。

  * 盲導犬サーブ(もうどうけんサーブ、1977年4月8日 - 1988年6月13日)は、盲導犬。雌のシェパードで、日本で最も知られたイヌの内の一頭である。

  経歴[編集]
  1977年(昭和52年)4月8日に生まれたサーブは名古屋市の中部盲導犬協会で訓練を受けた後、岐阜県のマッサージ治療院を営む男性を主人とした。
  1982年(昭和57年)1月25日、岐阜県郡上郡美並村(現・郡上市)の国道156号での誘導中に、雪でスリップして突っ込んできた車から主人を庇って重傷を負い、その傷が原因で左前脚を切断。この事故がきっかけとなって「盲導犬は視覚障害者の身体の一部」であるとの認識が広がり、事故にあった盲導犬にも自賠責保険が支払われるように法律が改正された。
  1983年にはこの話が出版された事もあって、日本だけでなく海外でもサーブの事が知られるようになり、1985年(昭和60年)にアメリカ・テキサス州知事から主人ともども招待を受けたサーブは「テキサス名誉州犬」の称号を受け、また同年9月には内閣総理大臣中曽根康弘から功労賞を受賞。1986年(昭和61年)には、サーブを讃えるとともに交通安全の願いを込めて、国鉄(当時)名古屋駅前にブロンズ像が設置された。
  1988年(昭和63年)6月13日未明、老衰のため11歳で永眠。墓は名古屋市南区の長楽寺動物霊園にある。
  1988年12月18日にはNHKでテレビアニメ『がんばれ!盲導犬サーブ』が放送された[1]。翌1989年7月4日にはテレビ朝日の「火曜スーパーワイド」の枠で『三本足の名盲導犬サーブ・愛の物語』としてテレビドラマにもなった。いずれも手島悠介の著作を原作としている。2007年9月6日にはフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」でも『ありがとう…サーブ』として紹介された。
  出典 ウィきペディアから