彼の職業を想像してみる。

割と普通なのは物書きだ。

古典文学を読み込むくらいだから、物語を蓄える必要のある仕事。

可能性としては、学芸員、警備員、研究員、退屈な煙草屋の店番。

とにかく、沈黙を常とする職業だ。

かくいう私は就職浪人で、そろそろ貯金も底をついてきた。

この消費のために、働いて貯蓄をしていたのかと考えると、思いのまま旅にでていれば良かったと、後悔する。

彼は、どんな仕事をしているのだろう。

そんな空想が、退屈な時間つぶしになっていた。
彼は、隣り合わせるだけの存在だった。
存在を忘れらたかのような、小さな街の図書館で時折、見かけた。

多分、ずっと以前から私たちはすれ違っていたに違いない。

ある日、突然割れるように響いた、子どもの泣き声に驚いて、泣き声の主を見ると、同じように少し驚いた視線に出会った。

泣き出した子どもは、すでに母親に宥められて、何事もなかったように、時間は動いていた。

驚いたわね、

そんな笑顔を返したのは、多分彼が私の年齢に近いと思ったから。

彼が、高校生とかだったら多分、彼と目が合ったことさえ「なかったように」忘れてしまう。

一度、認識してしまうと、人間の性でついつい捜してしまうものだ。

ときどき。

ちょっと寂しい物語を読んだとき。
とてもいい小説が終わるとき。

折々に。

そして、そう遠くない未来に彼は話しかけてくるだろうという、予感はあった。

乱読の極みに立つ私と違い、彼は少しつまらなそうな古典文学を片っ端から、といった感じで読み続けていた。

そういう人間は本質的な筋道から逸れないものだ。古典文学はパターンのなかに多様性を数多く秘めている。

予想通りの行動で、予想外の結果をもたらす。
彼女が云うように愛されることを求めても仕方がないだろう。愛し方は人それぞれだ。

果たして俺は彼女を愛しているのか。

嘘ばかりの、彼女の言葉。

例えば、夕べ泊まったシェービングクリームを遣う必要のある「女友達」のこととか。
運転免許を持たない彼女が、頻繁に行くゴルフの相手とか。

“Fly me to the moon”と云うジャズの名曲中の名曲が、あるの。
あんなシンプルな歌がたくさんの女性に謳われつづける理由は、あれこれが女心を表しているからだと思うのよ。

…in other words
そういって、奇想天外なセリフを言い替えては、言葉遊びのように翻弄している歌詞が繰り返し囁かれる。

“fly me to the moon”
月まで連れて行って、
“in other words”
日曜日の昼下がり、という詩的な表現が気恥ずかしくないくらい、素晴らしいく晴れた街。
オープンテラスのカフェテリア。

カジュアルなワインと好きなものだけオーダーしたような乱雑なテーブル。

「知り合い」としてでさえ、声がかけられない雰囲気。

fly me to the moon … in other words, I love you!

月まで連れて行って、それはね、愛してるってことよ。

 彼女に聞きたいことがある。

I love you… in other words…?