私は三人姉妹の長女で、
初孫だったためか、父方の祖父にとても可愛がってもらった。
離れて住んでいたが、
小さい頃の写真は、
祖父と写っているものが少なくない。
そんな祖父は、
私が10歳になる直前に亡くなった。
すぐに家族そろって長崎に行った。
四年生の終業式には出席出来なかった。
私は、棺の中の祖父の顔を見るのが少し怖かった。
特に、火葬の直前に顔を見るように促された時は、ひどく抵抗した記憶がある。
当時、死ということを、理解していたか否かは
わからないが、
祖父の死が私にとって、初めて直面した身近な人の死だった。
離れて住んでいたから、なかなか実感が湧かなかった。
何年もかかって、やっと、受け止められた気がする。
そして、
何か苦しい事に出くわした時や、
悔しい思いをした時などに必ず、
(『おじいちゃん!力を下さい!』)
と心の中で叫んでいた。
きっと、自分のことを見守ってくれていると信じるだけで、支えになった。
もう、祖父と過ごした年月の2倍以上もの時が過ぎた。
祖父との思い出の中に、
一つだけ強く後悔していることがある。
あれは、
小学二年生から三年生にか、三年生から四年生になる前の春休み。
私は、2歳半下の妹と二人きりで、奈良にある祖父の家に遊びに行った。
子どもだけで電車に乗って行くことは初めてだったが、
途中まで祖父が迎えに来てくれるということで、安心だった。
荷物を詰めた真新しい大きな鞄を持って、
両親に見送られて電車に乗った。
私がしっかりしなければ!と不安な気持ちを払う。
大事な荷物を座席に置き、
乗換えの駅を乗り越さないようにとアナウンスに注意をしながら。
無事、乗換えの駅で降り、祖父と会う事ができた。
祖父は、私が抱えていた荷物をすぐに持ってくれた。
次の電車に乗り換えた時だった。
座席は二人分しか空いていなかった。
祖父は、妹を座らせ、自らも座り、荷物を床に置いた。
私は、鞄の横に立った。
鞄の底に鋲がついているのを知らなかったので、
直に床に置かれた鞄の底が汚れるんじゃないかと気が気じゃなかった。
そして、私だけが座れない状況も受け入れがたかった。
なんで?・・・
後から知ったことだが、
病は祖父のカラダをすでに侵し始めていた。
祖父はきっとその時、しんどかったんだと後から思った。
なのに、私と来たら、祖父の行動を不服に思っていた。
ワタシは、そのトキのジブンのココロのうちを後悔している。