平成26年初版、内館牧子著、幻冬舎文庫。主人公の伊藤雷さんが大学卒業にあたり就活するも、59社から不採用を貰い、この先フリーターとしての人生を余儀なくされる一方で、弟の京大医学部合格発表の日に『源氏物語』の作品の世界へタイムスリップするというお話。

 

 この作品は黒木瞳さん監督で映画化され、2020年11月6日に公開されました。

       

 今回は、『源氏物語』の多面的な見方の一つとして、『十二単衣を着た悪魔』を読書レビューします。

 

 幼い頃から良く出来る弟と自らを比較し、劣等感とやるせなさを感じつつ成長した雷。ある日、「源氏物語と疾患展」というイベントで、派遣社員として会場の設営に入りました。その時貰った『源氏物語』のパンフレットが、その後の彼の、時空を超えた人生を支えることになろうとは…。

       

 雷が22歳で入り込んでしまった『源氏物語』の世界では、弘徽殿女御が雷に身近に接することになります。何と48歳までの人生を平安時代の貴族社会で生きる雷。仕事で得た『源氏物語』のあらすじ本と現代の薬を頼りに、弘徽殿女御のパーソナル陰陽師として、何不自由なく皆の尊敬を集め大事にされて生きることが出来た。

 

 現代に生きていた雷は、他人の顔色ばかり伺いながら、周りに嫌われないように、自分に敵を作らないようにと他人軸で生きていた。なのに、平安時代にやって来た雷は弘徽殿女御の祈禱の際、顔が見える近くまで接近する必要があり、と強い口調で物申す。雷自身も、「こっちに来て別人になった」と実感する。

 

 雷の持参していた現代の薬のお蔭で、すっかり体調が回復した弘徽殿女御。雷に、自分専属の力になってもらうべく、彼を呼びつけ簾の奥から願うが、雷は弘徽殿女御の顔を見ないことには受け付けないの一点張り。「頼み事は顔を見せて、きちんと頼め」と雷。

 

 「簾を上げよ」と弘徽殿女御。「聞こえぬのか。簾を上げよ」

       

 弘徽殿女御は自分の意志で顔を隠している扇を放ち、堂々と雷の前に自分の姿を見せる。これは、高貴な女御が裸を見せるようなもの。全身からただ者ではないオーラを発し、雷と目が合ってもそらさず。威風堂々とした姿。

 雷は雷鳴として、弘徽殿女御と息子の一宮を支えて行く人生が始まる。

 

 雷鳴は常に自分と弟の比較を、一宮とその弟の二宮の間で見てしまう。二宮とは、後の光源氏。弘徽殿女御は夫である帝から相手にされず、孤独な日々を送っているのであるが、彼女はとても賢くて強かった!雷鳴曰く、弘徽殿女御は生まれるのが千年早かった、と。例えばこんな場面がある。

 

 光源氏に愛想をつかされた六条御息所が娘と一緒に伊勢に下向する日。弘徽殿女御はたった二人だけで六条御息所と会うのである。そして御息所に言った。

 

 「私はね、とても運の悪い人間なの。だから本当に退屈しないわ。運が悪い人間はだんだん身も心も弱っていくものよ。でも、私はそうならないの。なぜだか、おわかりになる?」

 

 六条御息所にとっては意味不明の言葉だった。そこで弘徽殿女御は答える。「負けないからよ」

 

「運の悪さに負けないためには、色んな方向からものを考え、実行しなくてはならないの。それはおもしろくてよ」

 「御息所様、あなたはとても幸せなお方ね。どうか、これからも思った通りに思いっ切り生きてね」と、弘徽殿女御は励ます。

 

 それでも六条御息所は、光源氏に対するみじめさややるせなさを恥じている。そんな御息所に弘徽殿女御は、「違うの。光の方が格下ということ」と言い、さらに「私ね、人生を幸せにすることのひとつが、『身の丈に合わないもの』を追い求めることだと思うのよ」と。

 つまり、光源氏は所詮六条御息所より格下だから御息所の身の丈に合わず、そんな男に夢中になれた御息所が喜びや苦しさを経験出来、自分が輝いた事実を幸せだと考える、のが弘徽殿女御。

 

 それでも尚、娘にくっついて下向する母親を世間では惨めな方と語り、恥じ入ると言う六条御息所。

 

 「あら、そんなの言わせておけばいいの。噂なんてすぐ消えるんだから」と弘徽殿女御。桐壺更衣が亡くなった時、管弦の会を開いた弘徽殿女御はとても酷い噂を立てられた。その時の事を出して弘徽殿女御は言う。「今ではそんなこと言ってる人、一人もいません。とっくに忘れてるの。人はすぐ忘れるの。いいことよねえ」

 

 さらに、生霊になった件についても、弘徽殿女御はこう言いました。「あなたは、生霊になるには頭がよすぎる人よ。残念ながら、生霊にはなれません。生霊って頭の悪い人がなるのよ」さらに、「生霊になったの何だの、すべてあなたの幻です」と。

 

 六条御息所は伏して号泣。幻だったと言ってもらえて、どれほど心が軽くなっただろう、、、と雷鳴は感じた。さらに、弘徽殿女御の人柄が伺える言葉が続く。

「私もね、帝には全然愛されなかった。でも、たいしたことじゃないわ。人なんてすぐ死ぬんだから」

 

 この物語には、弘徽殿女御の魅力が満載。その一方で、弟に対する劣等感と人生の敗北感を癒しつつ平安時代をのびやかに生きた雷鳴の心の成長が心地よく描かれていて。物語終盤、明石へ流された光源氏を心配して後を追う雷鳴が、大学を出ていない劣等感を抱える光源氏を知って自分と比較するなど、人は時代が変わっても本質は同じなのだ、と思わされる。そうそう、一番悲しくて涙が出たのは、雷鳴の妻.倫子と娘.風子とのお別れシーン。やっぱり、いずれ現代に戻る人だから、妻子と一緒に生きることは出来なかったのかも、、、とそのシーンでは思った。

 

 雷鳴の平安時代を生きる人生が最後の時に、倫子と風子が蛍の化身になって、まるで雷鳴をお見送りするかのように彼の傍に出てきてくれて、、、この時も涙が溢れて止まらなかったなあー。