あの震災があった年の春。

私のクラスに関西から転校してきた子が二人いた。

 

子どもながらに、《話題にしてはいけない》という思いと、

初めて身近に聞く方言のイントネーションに不謹慎ながらも心ときめきが混じり、複雑な気持ちで接した記憶がある。

 

今思えば先生が最初の挨拶以降、話題に出さない様に気を遣っていたなぁ。

彼女らが一生懸命、関東の言葉になじもうと努力していた姿も思い出される。

 

それも半年くらい過ぎて、

国語の授業で関西弁の登場人物が出たことをきっかけに、

その気遣いも緩みだした。

関西弁を真似してしゃべりだすクラスメイトもいた。

 

彼女たちは今ではもうすっかり私たちの地元で元気に過ごしている。時々会ったりする同級生達の話題で耳にする。

 

きっとそれで良いはずなのに。

あなたに関係ないでしょ、と言われたらそれまでなんだけど。

 

でもどうしても毎年あの時間の前後に目が覚めてしまうんだよな。

潜在意識って本当に不思議だ。

 

 

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そうそう、やっと最近テレビで流れる黙祷前の時報の音が怖くなくなりました。(実は電話の時報も苦手でした)

 

毎回「いつか目が覚めなくなる日は来るのかしら」と思い、

同時に「来てほしくない」とも思いながら、手を合わせています。