昨日は終戦記念日で御座いました。
私はあんまりこういう場所で戦争関連の話題をするのがどうも苦手で、
毎年一人で悶々と考え、書籍を読み、テレビの特集を見ては涙しているような私でございました。

今年は戦後70年ということで、
私の意思と関係なく、この時期はメディアや漫画書籍の広告などが目に入ってまいります。

その中の一つ、漫画【母なるもの断崖】も読みました。
的確な情報の広告から、内容の重さをくみ取り、なかなか購入するのに勇気が必要だったのですが、とある話題から意を決して読んでみることにしたのです。

改めてこちらは曽根富美子先生の1988-1989に『ボニータイブ』に連載されていた漫画です。
戦後70年の節目として今年電子書籍化したそうです。
舞台は北海道室蘭の幕西遊郭に売られた少女たち4人の過酷な運命を描いたもので、
その壮絶さは現代に生きる私たちには受け止めづらく苦しい内容でした。

「女性として生きていく。」
ということがいかに命懸けか。
男女差別はまだ完全になくなっているわけではありませんが、
今日の私達の「自由」がこういった方々の歴史無しに語ることは出来ないのです。
夢を持つこと。好きな人と結ばれること。好きな格好をして自由に外を歩けること。
今当たり前になろうとしているこの文化があり得なかった時代があるのです。

少し話が逸れますが、今日ラジオでも戦争の話題になっていました。
お祖母様の戦争体験(幼い頃、逃げていた馬小屋にて、目の前で年頃の娘や人妻が敵国の男たちに乱暴されていく話)を聞いてお孫さん(中高生くらい?)が、『僕は今まで生きてきた人生で「惨い」という言葉を使ったことがありません。ですが、今日祖母の話を聞いてこれほどまで「惨い」という言葉が当てはまる人生を祖母が体験したことにショックを受けています。』(というニュアンスのコメントでした。)と仰っていました。
確かにこんなに惨いという言葉を表現として使う機会が無い時代を、私たちは生きているのです。

先に述べた作品を読み、その壮絶な彼女たちの人生を漫画を通して垣間見た後、
ラジオをつけると丁度アンパンマンマーチが流れました。
私が小さい頃、弟が小さい頃、そして今もなお子供たちの心をとらえるこの曲。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この歌詞は戦争体験をしたやなせたかし先生がその想いを込めて書かれたものです。

「なにがきみのしあわせ なにをしてよろこぶ こたえられないなんて そんなのはいやだ」
「なんのためにうまれて なにをしていきるのか わからないままおわる そんなのはいやだ」

いやだと思いながら亡くなった方がどれほどいたのか、
そして生きている、生かされている私たちは亡くなった方たちへの生き残ったことに対する罪悪で胸の傷が痛んでも歯を食いしばって生きていかなければならないんだというそういう思いが込められています。改めて歌詞を読みながら聴いていたら涙が止まりませんでした。

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戦争は人を鬼に変えます。
極限状態に直面すると人は本能に従うほかなくなるのです。
そして本能に従いながら、残酷な理性を持ち合わせています。
動物は獲物を捕らえたらそれ以上を求めません。
でも人間は違います。
殺しても殺しても殺すのです。

なぜか?
それは人間の中に「恐怖」と「欲望」があるからだと考えます。
支配される恐怖、手に入れた地位を脅かされる恐怖、復讐される恐怖。
支配したい欲望、手に入れ続けたい欲望、復讐したい欲望。
この負の連鎖です。
(そういえば昨日インスタにあげた本の中にも、この言葉について書かれていました。)

折角断ち切ったこの負の連鎖を、再びつないではいけません。

70年。

私はまだ70年しか経っていないのだと受け止めています。
ということは尋常ではないエネルギーが使われて今日が形成されているのです。
この為に戦争以外に犠牲になった方もいたことでしょう。

今日(昨日)という日は決して特別ではありません。
永遠のテーマなのです。

でも今日(昨日)という日だからこそ、書きたいと思ったのは否定できません。
何卒お許しください。





はむ