夜明けの味噌汁的な人間を目指して

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中二病を長くこじらせてしまった19歳の私はゾンビについて考えていた。
実家の押入れから出てきた19の頃使っていたノートに、ゾンビのことを真剣に考えた文章が書いてあって、それが痛くて面白かった。痛快!


「ゾンビの産業化について」
人間はなぜゾンビを産業資源として着目してこなかったのだろうか。
人々が人々である、人間である、ヒトであると認めることのできる「死」の定義とゾンビの関わりについて考える必要がある。人々が自らの属する種である人間を、「資源」として産業に用いることは、人が人である所以、すなわち考え、そして築いてきた倫理という点で根本的に認めることができない。したがって、ゾンビをこれまで産業的に用いてこなかったという事実は、我々がゾンビを本質的には「人」として認めてきたということを示唆している可能性がある。
ゾンビは、我々のように思考することは出来ない。我々人間の一人ひとりはは、同じ形状の細胞から成り、同じ遺伝子の有するミトコンドリアを持ち、そして分類学上「ホモサピエンス」という種としての同じ特徴を持っている。しかし、実際には我々は一人として同じ人間がダブっているのを見ることもなく、また自分自身、自分の知っているどの人間とも完全に一致することがない。この普遍的な事実には、人間が自分の脳を持ち、そこで各々思考しているということが大きく作用している。
しかしゾンビというものには本質的に「思考」はない。彼らの脳の使い方というのは限りなく動物的であり、生存に特化していて、人間のように、生きていくために直接必要のない事象への思考はない。
では、人が人である大きな要因が、思考することであるとすれば、思考のないゾンビは、



ここで終わっている。思考のないゾンビは何なんだ?