【シングルよもやま話 55】 フレンチ・ポップスと歌謡曲が見事に融合したオシャレな作品はいかが? | 歌謡曲(J-POP)のススメ

歌謡曲(J-POP)のススメ

音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 ここしばらく、記事執筆のペースがすっかり落ちてしまって、わたし的には“ご無沙汰”の感があるのですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今週末は久々に休日出勤の必要もなく、少しまとまった空き時間ができたので、久々に「シングルよもやま話」をお送りしたいと思います。取り上げるのは、’70年前後にヒット曲を連発した小川知子のちょっぴりマイナーな作品です。

 かくいう私は1965年生まれなので、その頃はまだ2~7歳くらい
。正直言って、当時の彼女の記憶というのはほとんどないです…(ぽりぽり)。最初に頭に浮かんでくるのは、’90年代前半に某宗教団体の広告塔として、今は亡き景山民夫氏らとともにマスコミに盛んに登場した一件ですね…(さすがにあれはちょっとキツかった)。

 で、気を取り直して、「いやいや、歌手としての小川知子を思い出さねば…」と頑張ってみたら、今度は谷村新司とデュエットして中ヒットを記録した「忘れていいの」(1984.2.25発売、オリコン最高位21位、オリコン売り上げ枚数14.9万枚)のプロモビデオで、谷村オヤヂの手が小川知子の胸元に少しずつ滑り込んでゆくシーンばっかりフラッシュバックしてくる…これには参りました(←欲求不満でもたまっているのか
)。う~む、でもあのシーン、当時ちょっとした話題になりましたよね…(すがるような目で

 …ま、そんなこたぁともかくとして
。彼女の歌手としての足取りについて少し整理してみましたので、しばしお付き合い下さいませ

 幼少時より児童劇団に属していた小川知子は、11歳の頃に日本テレビのドラマ『ママちょっと来て』で子役デビュー、そして16歳にして東映に入社し、『悪魔のようなすてきな奴』で映画女優デビュー…と、もともと“女優”街道をまっしぐらに進んできた人です。つまり、大ヒットした彼女のシングル曲「ゆうべの秘密」(1968.2.1発売、1位、52.9万枚)「初恋のひと」(1969.1.21発売、4位、32.6万枚)などは、彼女が映画女優から歌手へ転身した後の“仕事”ということになりますね(東映時代に久保浩とデュエット「恋飛行」をリリースしていますが、これは女優の余技と見るべきでしょう)。ヒット曲「さすらいのギター」(1971.6.1発売、11位、20.3万枚)で知られる小山ルミなどもそうだと思うのですが、’60年代後半というのは、この手の映画女優→歌手転身組が結構いた時代だったらしいです。ふぅむなるほど…。

 小川知子は、1968年のソロ歌手デビューから1972年頃まで、年3~4枚のペースで順調に新曲をリリースして、この間に出したシングル16作品をすべてオリコン100位以内に送り込んでいます
。’60年代後半に「ゆうべの秘密」や「初恋のひと」を歌っていた頃の彼女は、まだ19~20歳だったはずですが、改めてYouTubeやレコードジャケットを見てみると、これがまた大人っぽいことと言ったら… そもそも作品からしてラテンテイストのムーディーな曲調が多いですし、歌っている彼女もロングドレスに化粧をばっちり決めて、落ち着いた雰囲気を漂わせていました当時の歌謡曲が、完全に“大人”の娯楽であったことがよく伝わってきますよね

 そんな彼女もやはりご多分に漏れず、年を追うごとに売り上げ枚数の低下は免れませんでした
。1971年末にはオリコン100位以内に入るのがやっとの状態まで低迷してしまいます(もっとも4年間もメジャーシーンで活躍したこと自体、凄いことなんですけどね)。そこで、ヒット狙いで変化球を放ってきたのが15作目シングル「別れてよかった」(1972.6.5発売、18位、18.9万枚)です。結果的にこれが彼女にとって2年9ヶ月ぶりのベスト20入り、起死回生の一発となりました。「別れて…」では、それまでのナチュラルな歌唱からウィスパー・ヴォイスへと大胆チェンジ さらに、女優出身である彼女の持ち前の気取った(=芝居がかった)歌唱法が絶妙に作用して、川口真センセ作曲によるアンニュイな世界を実に見事に表現した佳曲でありました。ちなみに、この「別れてよかった」での試みの成功を踏まえた“発展バージョン”が、約半年後にリリースされた金井克子の「他人の関係」(1973.3.21発売、7位、30.4万枚)と言って良いでしょう

 そして、好評だった「別れてよかった」に続いてリリースされたのが、今回ご紹介する「若草の頃」なのです(ふぅ。やっと本題にたどり着いた…
)。


 「若草の頃」(小川知子)
作詞:なかにし礼、作曲:川口真、編曲:川口真

[1972.11.5発売; オリコン最高位61位; 売り上げ枚数 2.3万枚]
[歌手メジャー度★★★★★; 作品メジャー度★★; オススメ度★★★]


 この「若草の頃」は、前作の「別れてよかった」と同じ作家陣(なかにし礼-川口真)の手による作品なのですが、アンニュイな洋楽ソフトロック路線がベースである点こそ共通しているものの、曲のイメージや作風はかなり異なっています。まずは、両者を聴いて戴きましょう。

「別れてよかった」(1972.6.5発売)

「若草の頃」(1972.11.5発売)


 いかがでしょうか。「若草の頃」をお聴きになって「あれ…、どこかで耳にしたことがあるような…
と思った方は、きっとある程度以上の年齢層で、しかも洋楽シーンをきっちりと押さえている方でしょう。そう、曲の雰囲気や作りといい、ささやくような歌い方といい、これはまさにフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて(Comment te dire adieu?)」(1968年)をモチーフにして作られたに違いない曲なんですよね

「さよならを教えて(Comment te dire adieu?)」(フランソワーズ・アルディ)


 で、「本当に川口真センセって素晴らしいよなぁ…」と私がつくづく感心してしまうのは、フランス映画を見るようなオシャレな雰囲気を拝借しつつ、単なるオリジナルの“パクリ”ではなく、ひと手間(いや、ふた手間くらいかな
)かけて料理することによって、日本の“歌謡曲”として昇華させている点なんですよね。川口センセの職業作曲家&編曲家としての手腕をまざまざと見せつけられた気がするのは、きっと私だけはないのではないでしょうか。

 それともう一つ。この作品を弘田三枝子でも黛ジュンでもなく、はたまた奥村チヨでも金井克子でもなく小川知子に提供した…というのも極めて重要なポイントですね
。だって、このかなり“お高くとまった”作品のイメージに合う歌手なんて、小川知子くらいしかいませんから…。そしてこの”気取り”が、実にいい感じで好きなんだよなぁ一生に一度くらい、こういうタカビーないい女に振り回されてみたい気がするんですよね、私は(←ただのバカ)。…まさに川口センセの慧眼であったと思います

 なかにし礼センセによる歌詞の世界も抜群ですよね



 ♪ 雨の日も街角で 絵を描いてるあなた
   コットンのG パンも ずぶ濡れのあなた
   風の日はアパートで この私がモデル
   火もなくて寒いけど あたたかな笑顔
   思い出すの 若草の頃を
   誰もいない 夜に泣きながら 今頃
   恋なのか憧れか 知らなかったけれど
   幸せに似たものを 感じてた

 ♪ 朝早く買い物に 市場(いちば)へ行くあなた
   後ろから犬を連れ ついてゆく私
   むつかしい詩の本を 読んでくれるあなた
   川岸の公園の 陽の当たるベンチ
   思い出すの 若草の頃を
   消し忘れた 煙草の火を見て 今頃
   口づけをしてくれず 悲しかったけれど
   幸せに似たものを 感じてた


 具体的な国名をまったく持ち出さずに、“若い(そしておそらくイケメンなのであろう)絵描き”、“むつかしい詩の本”というキーワードと付帯状況の描写のみで、聴き手にフランスあたりの情景を想起させながら、日本の歌謡曲としても違和感なく成立させている…、この辺りは、仏文科出身で、しかももともとシャンソンの訳詞から作詞家の世界に入ったなかにし礼センセの本領発揮っといった感じで、「う~む、素晴らしすぎる…」と思わず唸ってしまうのであります

 こんなところで今回の記事はおしまいです
。それでは皆さん、またお逢いしましょう~