【シングルよもやま話 51】 聴いていると妄想をかき立てられること必至のいかにも昭和っぽい珍作! | 歌謡曲(J-POP)のススメ

歌謡曲(J-POP)のススメ

音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 今回は、いきなりクイズです

「これまでに日本で発売されたシングルの中で、歌詞の最も少ない曲は誰の何という曲でしょう…?」

 …あ、もちろん、映画のインスト作品なんかは除外して下さいね。それと、B面にA面のカラオケが入ってるパターンも多いので、A面、しかも作詞者がちゃんといる作品に限定してみましょうか


 歌謡曲に
少し詳しい方なら、由紀さおり「夜明けのスキャット」(1969.3.10発売、オリコン最高位1位、売り上げ枚数109.0万枚)あたりが頭に浮かぶかも知れません。そうですねぇ…確かに、冒頭から延々と続くスキャット ♪ ルルルルル~ ラララララ~ を除くと、意味のある歌詞はたったこれだけですからねぇ()。

 ♪ 愛し合うその時に この世は止まるの
    時のない世界に 二人は行くのよ
    夜は流れず 星も消えない
    愛の唄 響くだけ
    愛し合う二人の 時計は止まるのよ
    時計は止まるの

 この曲がリリースされる以前と言えば、♪ ルルル~ ラララ~ が歌詞の半分を占めるような曲をレコードで発売すること自体、全く考えられなかった時代
ですから、「夜明けのスキャット」が、我が国の歌謡シーンにおいて一つの“ブレイクスルー”となった重要な作品であることは間違いありません。

 でも、クイズの答えとしてはブッブー
。残念ながら違うんです。…と、ちょっと勿体ぶってしまいましたが、この辺で“正解”をご紹介することにしましょう。これでした~()。


「GIRL FRIEND/BABY DOLL」(Petite M'amie)
作詞:N. Okada、作曲:M. Kotani、編曲:M. Kotani
[1971.4.?発売; オリコン最高位-位; 売り上げ枚数-万枚]
[歌手メジャー度★; 作品メジャー度★; オススメ度★★]


 実はこのシングル、これまでにも、タモリの「トリビアの泉」や「タモリ倶楽部」で取り上げられたり、伊集院光のラジオで「おバ歌謡」扱いされたりしたことのある、いわゆる“好事家”の間では有名な作品です。でも、一般の皆さんに向かって、”歌っているのはPetite M’amie(プティ・マミ)なんですよ”な~んて言っても、さすがに「はぁ…」という反応が返ってくるのが関の山でしょう。そんなこんなで、この曲に関しては聴いてもらった方が話が早いと思うので、まずはYouTubeの方をどうぞ~。そうそう、音量はあまりあげない方がいいですよん…念のため



 いかがでした… ま、そういうことです(←ってどういうことだ…)。プティ・マミ名義でリリースされたこの曲は、当時、歌手の素性を伏せてリリースされました。で、その正体はと言えば、猪俣公章センセの地味メ~な曲で1967年に歌手デビューしていた麻里圭子、その人なのであります。えっ、知らないですか…。オリコンチャートブックをペラペラめくってみると、1969年1月に麻里圭子とリオ・アルマ名義でリリースした5作目シングル「月影のランデブー」が最高位48位、売り上げ枚数5.9万枚の小ヒットを記録してるんですが。デビュー曲「命をかけて」からラストシングル「告白」(1972.10発売)まで、全16作のシングル(プティ・マミ名義の「GIRL FRIEND」を含む)の中でオリコンに記録が残っているのはその1枚だけだから無理もないのかな…

 麻里圭子は、デビューから1年ほどは、小川知子チックなフォーク調歌謡を歌っていましたが、1969年頃には“(横田年昭と)リオ・アルマ”と組んで次々とムード歌謡をリリース。かの有名な「サインはV」を競作でリリースしたのもちょうどこの頃です。これでちょっぴり明るい方にイメチェンしたなと思ったら、9作目の「危険な春」あたりから、こんどはお色気路線に突入10作目の「接吻(キッス)泥棒」にはイントロの部分に笑い声が入っていて、プティ・マミを髣髴とさせるウフフ路線の佳曲です(何と作曲は筒美京平センセ)。そして、12作目で満を持して(プティ・マミの登場となります。その後、14作目シングルで映画「ゴジラとヘドラ」の主題歌を歌うなど、歌手としての路線が曖昧なまま、ラストシングル「告白」のジャケットでセミヌードを披露してそのままフェイド・アウト…

 お色気路線に入った頃からプティ・マミあたりまでは、私にとっては美形でしかも可愛らしいイメージの“憧れの存在”だった
だけに、やさぐれ系のイメージで終わってしまったのが非常に残念だったんですよねぇ麻里圭子名義のシングルは佳曲が満載なのに、まだまだCD化されていないものが多いので、ちゃんとベスト盤の形で発売して欲しいもんです

 →  →  → 
麻里圭子のシングルジャケットの変遷


 冒頭でクイズの“縛り”にもしたのですが、この曲で特筆すべきは、こんなんでもちゃんと作詞家がいる、ってことでしょうか。ちなみに作詞クレジットにあるN. Okadaというのは、当時、ロミ山田の旦那だった劇作家 岡田憲和のこと。あえて作詞担当を名乗る以上は、笑い声の出し方とか、何か“表現”の部分で細かい注文を出したりしたんですかねぇ…真相は闇の中、です。一方で、作編曲クレジットにあるM. Kotaniというのは、石原裕次郎「ブランデーグラス」(1979.11.25発売、オリコン最高位11位、売り上げ枚数64.3万枚)のコンポーザーとして知られる小谷充センセですが、小谷センセの場合は、どちらかと言えばアレンジャー仕事の方が有名なんじゃないかと思います。

 ポール・モーリア張りのムードあるイージー・リスニングといった趣きの実に耳に心地良いサウンドをバックに、プティ・マミ嬢の表現力豊かでコケティッシュな笑い声に浸っていると、確かにガールフレンドとイチャイチャ(←とんでもない死語だな…これもしてるような錯覚に陥ってくるから不思議なものです。1971年と言えば、エ□ビデオはおろか、碌なエ□本すら無かったでしょうから、当時、作り手サイドが想定していたはずの訴求対象=“彼女のいない若い男のコ”は、プティ・マミ嬢の「GIRL FRIEND」を聴きながら、妄想に耽ったのでしょうか…。プティ・マミ嬢なら、わざわざ正体を伏せずにシングルジャケットに美形を披露しても良さそうに思うのですが、そこを敢えてそうしなかったのは、「自由に妄想を膨らませて下さいな」という、作り手サイドの“親心”のようなものだった)のかも知れません

 …ま、この手の作品を“企画物”としてばっさり切り捨てるのは簡単なのですが、バックの演奏を聴けばトップミュージシャンを起用していることは私でもすぐに分かりますし、単なる企画物にしては工夫を凝らした痕跡をあちこちに感じる“スグレモノ”だと思うんですがねぇ。こんな笑い声オンリーの曲をわざわざシングルA面としてリリースしちゃうところに、昭和時代の懐の深さのようなものをしみじみ感じてしまう私は、懐古主義に過ぎるのでしょうか・・・

 最後になりましたが、「GIRL FRIEND」でプティ・マミと“いい関係”になって次のステージに進みたい諸兄は、にB面の「BABY DOLL」をアップしておきますので、騙されたと思ってぜひ最後までお聴き下さいね~今晩はきっといい夢が見られること請け合いです(ただし♂限定ですぜ

 それでは、今回はこんなところでおしまい
 またお逢いしましょう~