【お薦めシングルレビュー 44】 男の色気抜群のあの歌手による衝撃度∞の名曲をどうぞ~! | 歌謡曲(J-POP)のススメ

歌謡曲(J-POP)のススメ

音楽といっても数々あれど、歌謡曲ほど誰もが楽しめるジャンルは恐らく他にありません。このブログでは主に、歌謡曲最盛期と言われる70~80年代の作品紹介を通じて、その楽しさ・素晴らしさを少しでも伝えられればと思っています。リアルタイムで知らない若い世代の方もぜひ!

 いまさらですが、私ってば、このブログを始めて間もない頃の記事の中に「郷ひろみ沢田研二は、私にとって、男性ソロヴォーカルの中では名曲の最も多い大切なアーティストです」という趣旨のことを書いたのをふと思い出してしまいました…。ところが、ブログ開始からもう2年半以上が経過したというのに、ジュリー関連の記事をマトモに取り上げたことがないっ

 いやぁ、あの発言を覚えていらした方には、本当に失礼しました
(ぽりぽり)。ジュリーを取り上げなかったことに格別な理由はないんです。私は普段、膨大な数のジュリーの名作シングルのシャワーを浴びて生きているもんで、まぁジュリーは空気のような存在みたいなもの。そんなこんなで、記事に書くきっかけとタイミングを単に失っていたというだけの話なのでありました。

 ま、さすがに、私みたいな素人のブログに対して、「いったい何なんだー
」とお怒りの読者はいないと思いますが、もともと限りなくゼロに等しい“信頼感”をこれ以上失わないためにも、この辺で一作取り上げておきたいと思います。この作品で~す()。


「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」(沢田研二)
作詞:三浦徳子、作曲:沢田研二、編曲:伊藤銀次

[1981.9.21発売; オリコン最高位6位; 売り上げ枚36.4万枚]
[歌手メジャー度★★★★★; 作品メジャー度★★★★★; オススメ度★★★★]


 ジュリー(沢田研二)とくれば、キャラクター、音楽性、エンターテインメント的要素のどれをとっても抜群の才能を誇った、我が国における’70年代歌謡界の“スーパースター”ですよね

 沢田研二は、“ザ・タイガース”のメンバーとして1967年にデビュー
。アイドル的人気を獲得して我が国のGS(グループサウンズ)ブームを牽引した後、1971年に「君をのせて」でソロシンガーに転じました。最初の3年ほどは、アイドル的な雰囲気を残しつつ、同じくGS出身の加瀬邦彦(元 ザ・ワイルドワンズ)の手によるバラエティに富む“歌謡ロック”を次々とヒットさせます。ちなみに、私がリアルタイムで記憶しているのは、小学2年生になったばかりの頃にテレビで見た「危険なふたり」(1973.4.21発売、オリコン最高位1位、売り上げ枚数65.1万枚)でした。ガキなりに、「いい曲だなぁ…」と感じ入ったんですよね。当時、父親の影響でロシア民謡ばかり聴いていた私にとっては、自分がまだあまり馴染みのなかった歌謡曲の世界に“身震い”を覚えた瞬間だったように思います。

 ‘70年代中旬に入ると、安井かずみ加瀬邦彦コンビから阿久悠大野克夫コンビへとシングルの作家陣をガラッと変えて、より渋くてアダルトな作風へとギアチェンジを試みますが、これが見事に大成功
 ジュリーの最大のヒット曲「時の過ぎゆくままに」(1975.8.21発売、1位、91.6万枚)や、「勝手にしやがれ」(1977.5.21発売、1位、89.3万枚)が生まれたのもこの時期でした。商業的にはこのあたりがジュリーの最盛期だったと言っていいでしょう

 その後’80年代前半あたりまで、楽曲の良さもさることながら、新曲をリリースするたびにジュリーが繰り出す派手なパフォーマンスと奇抜なファッションが、大いに世間の耳目を引きました
。中でも、「カサブランカ・ダンディ」で口からウイスキーを吹くシーンや、「TOKIO」のパラシュートシーンの真似なんかは、私たち小学男子の間で大いに流行ったものです(遠い目)。

 で、’80年代に入ると、ジュリーは自らシングルの作曲を手掛けるようになるのですが、これらの作品群は歌謡曲の美味しいところを押えながらニュー・ウェイブっぽくて、どれも奇跡的に素晴らしい
んですよね。 大体において、歌手が自ら作るのは歌詞の方であって、たまに曲を作ったとしても職業作家のレベルに達しなくてガッカリ…ってなケースが多い中で、彼のマルチな才能は特筆されるべき。そう、ジュリーは単なるカッコだけの男ではないのです(←いったい誰に向かって言ってるのか…それはこの記事を最後まで読むと分かります)。

 今回取りあげる「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は、ソロシンガーとしては「コバルトの季節の中で」、「渚のラブレター」に続く3作目の自作曲となります
。当時のジュリーは33歳。歌手として脂が乗った時期に満を持してリリースされた、大人の男の色気満載の名曲ではないでしょうか。ジュリー専属のバックバンドEXOTICS(’90年代に“イカ天”の審査員だったベーシストの吉田建、ジュリーのアレンジを多く手掛けた西平彰あたりが有名)と一緒に写ったショットをあしらったシングルジャケットも実にカッコいいですよね~

 この曲がリリースされた1981年、私は高校1年生。今でも悔やまれるのは、当時はある“気兼ね
”があって、テレビで見たジュリーのパフォーマンスを心ゆくまで楽しむことができなかったことかなぁ…。というのは、クラシック音楽やロシア民謡を好む私の父親は、お茶の間でテレビを見ていてジュリーが登場すると、とたんに機嫌が悪くなってくるのです。要するに、ジュリーみたいに男がチャラチャラと格好つけるのはケシカランというワケ。父親の下の名前(の発音)がジュリーと同じだったのも、気に入らなかったのかも知れません。父親はどうも、“クラシックと比べて歌謡曲は一段下”という風に考えているフシがあって、これには私も反論したかったけれど、ガキの分際でそんなことはとてもできませんでした。親元を離れた私が、「音楽に上下の貴賤なし」をモットーに掲げてこんなブログを書き散らしているのも、そうした家庭環境に育ったことが大いに影響しているに違いないです。

 それでは気を取り直して、まずは歌詞をざっと見て戴きましょう。


(Aメロ)♪ ヒールを脱ぎ捨て ルージュを脱ぎ捨て
       すべてを脱ぎ捨てたらおいで
       裸にならなきゃ始まらない ショーの始まりさ
(A‘メロ) 過去を脱ぎ捨て 昨日を脱ぎ捨て
       すべてを脱ぎ捨てたらおいで
       瞳を隠して 逃げ込むなら 話にならないぜ
(Bメロ)♪ 朝でも夜でも真昼でも 恋はストリッパー
       裸のふれあい
       春でも秋でも真冬でも 愛はストリッパー
       見せるが勝ちだぜ
(Cメロ) ※ 俺のすべてを見せてやる
        お前のすべてを見たい

(Aメロ)♪ 嘘を脱ぎ捨て 罪を脱ぎ捨て
       すべてを脱ぎ捨てたらおいで
       男と女はアダムとイブ 可愛いものだよ
(A‘メロ) 未来を脱ぎ捨て 明日を脱ぎ捨て
       すべてを脱ぎ捨てたらおいで
       弱いところも見せちまえば 綺麗に変われる
(Bメロ)♪ 朝でも夜でも真昼でも 恋はストリッパー
       人生のステージ
       春でも秋でも真冬でも 愛はストリッパー
       幕は上がってる
(Cメロ) ※ くりかえし
(Cメロ) ※ くりかえし


 うーーーむ、いろいろと“深い”歌詞ですよねぇ
。あえて私が書くまでもなく、タイトルの「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は、あくまでこの作品の真のテーマ(=男と女の関係は、お互いにありのままの自分をさらけ出すのが一番)の象徴であり、歌詞の中にストリッパーが登場するわけではありません。しかし、男の色気を競わせたら右に出る者はいないジュリーの口から、“ストリッパー”なんていうスキャンダラスなフレーズが出てきたら、その衝撃度は抜群に決まってます。その辺の企画意図も含めて、実によくできた作品だなぁと思うんですよね

 
秀逸な歌詞に負けず劣らず、曲の方もイントロからゴキゲンです。曲構成は、A-A'-B(サビ)-C-A-A'-B(サビ)-C-Cアメリカのロカビリーバンド“Stray Cats”のヒット曲「涙のラナウェイ・ボーイ(Runaway Boys)」(1980年、全英9位)を思わせるようなラムとエレキの饗宴が、最初は脳天に“痺れ”を、そして身体全体に心地よい弛緩(しかん)をもたらしてくれるのがもういきなり最高ではないですか。

 比較的変化の少ないコード進行で淡々と進むAメロ~Aメロに続いて、変化に富んだBメロ・サビ(C-G-B7-Em)が登場します
この部分に差し掛かると思わず背中がゾクゾクするような快感に悶えてしまう私は異常でしょうか… ここでこんなに美味しいサビを仕込んでくるとは、さすがジュリー、歌謡曲好きの“ツボ”を良く知っているなぁと思わず感心してしまうんですよね。


 とまあ、100%手放しの称賛記事を書いてしまいました
。ジュリーといえば以前なら、一般人から“いもジュリー”と言われて暴力をふるって自ら芸能活動を謹慎した一件(1976年)、最近ではコンサートなんかで寒~い“おやぢギャグ”を繰り出すところなんかが、アンチジュリーの恰好のバッシング材料にされてるみたい。でも、ジュリーのそんな人間くさいところが私はとっても好きいろいろと誤解されやすいけれど、実はとっても生真面目でサービス精神旺盛な希代のエンターテイナー 我らがジュリーに永遠に幸あれっ 

 それでは、今回はこんなところでおしまい
 またお逢いしましょう~