2023年7月2日 日曜日。
待ってました、佐野元春 & THE COYOTE BAND @ フェスティバルホール大阪。
昨年神戸で拝見したライブ、そして連続リリースされた二枚のアルバムの出来、特にコンセプト・アルバムとして発表された『今、何処』は、佐野元春史上、最高傑作だと思っている。
それをいよいよ体感できる。
ところが、開演前の館内アナウンスは、僕の心の中の盛り上がりに水を差すどころか、カチンと頭にくるものだった。
携帯電話等に関する諸注意の後に告げられたポイントは、
①「新型コロナの〜は終了したが、ライブ中の声出しはできるだけ控えていただき…」
②「静かな曲の場合は、席に座って…」
③「バンド演奏のグルーヴを楽しんでいただくために、曲中の手拍子は、なるべくお控えください」
というもの。
まず、①の「できるだけ」って、何やねん?他のバンドであったけど、せめて「連続の声出しはお控えください」とか、もうちょっと(具体的な)言い方あるやろ。
②こちとら、静かな曲なら座ったり、静かな曲とて座っていられない時もあったり、そこは自分の感性のままにで動いてる。正直、アナウンスで言われるのは大きなお世話。
③②と同様の理由。そんなアナウンスで「乗り方」の強制なんて、初めてだ。
これら…佐野さんはOKしたんか?
預かり知らぬことか?
いや…③でわざわざグルーヴなんて言葉を使うのは、フェスティバルホールの発想では無いんじゃないか?つまり、佐野さんサイドの要求?
そんな風にイラつきながら、開演時間が迫る。
で。
「あれれ…⁈」
たいていの場合、開演直前には館内BGMの音量はガツンと上がり、ホール全体での手拍子が沸き起こり、メンバーの登場を熱く迎える。
だが、手拍子は起こっているが、この夜のBGMはゆったりした「あの」歌。
「ちょ。いまの会場の手拍子、まるで曲に合ってないぞ…」
そして、メンバー登場と流れるSE。(どちらが先か忘れた)
館内は割れんばかりの拍手と喝采…。
「待ってくれ!このSEからの空気感、拍手が邪魔!音に聴き入りたい!」
そして一曲目。
僕が座っていたのは二階席の壁寄りだったせいか、「手拍子」がうるさ過ぎて、演奏がかき消される…。
「そう言うことか!」
開演前のアナウンス、①②はともかく、③って佐野さんサイドの声かもな…。
一曲目が終わったのに、手拍子だけが少し続いた。
「みんな、演奏を聴いてる?」
僕は今まで、佐野さんのオーディエンスは「ノリ」が良く、音に柔軟に合わせられると思ってきた。
でも、この夜は、何かが違う。
みんな、「熱狂」しすぎ。
アルバムの完成度、久しぶりのライブ、佐野さんの快復ぶり。
熱くなるのはわからないでもない。
でも、音と噛み合っていない。
さて。
ロックのLIVEに手拍子は不可欠か?
音に合わせて自然に身体が動くとて、別に手拍子でなければならないことはないという、「当たり前」のことに気づく。と言うか、僕の身体が手拍子をしようとしなかった。
もちろん、手拍子を全否定するものではない。
楽曲によっては手拍子したくなったり、その手拍子ですら組み込んで、ライブ・パフォーマンスとして成立する楽曲だってある。
その夜、こう感じたのは、僕だけじゃないのかもしれない。なぜなら…館内のオーディエンスの「ノリ」に変化が…。
佐野さんの歌声、バンドのパフォーマンス、素晴らしかった!
音量的にはもうちょい上げてもよいかな?とは思ったが、音のバランスも良かった。
背後のスクリーンに映る映像も良かった。決して演奏を邪魔するようにしゃしゃり出ることもなく、演奏に意味を添えていた。また、スクリーンの下の方に、メンバーの「影」が映るのも良かった。
舞台監督さんを中とした、チーム・コヨーテ、GJ!
繰り返しになるが、僕は手拍子を全否定するわけじゃない。
ただ、オーディエンスとしての、惰性は要らない。その時、その場の「音」に、誠実に向かい合いたい。
それが僕にとっての、音を楽しむということ。
そして、そういう楽しみ方をさせてくれる、佐野元春 and THE COYOTE BAND に感謝。
#佐野元春