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 本日は「すずめの戸締り」の紹介です。

冒頭
「子どもが廃墟の街を徘徊するシーンから。すずめが母親を探している。夢から目を覚ます」

 すずめとは主人公の女性のことです。母親を亡くしていることが分かるように描写してありました。しかし特に母親を亡くしたという設定が生かされているわけではなかったように思えます。


 学校に行く時に、美形の男性から声をかけられる。男は廃墟と扉を探している。
 ↓
 イケメンを追って廃墟へ行く。そこで扉を見つける。扉を開けると別空間が広がっていた。しかしそこには行くことができない。

 冒頭から不可思議なシーンが描かれています。冒頭でミステリアスな男が現れたので、不自然さは感じなかった。冒頭が現実的な描写だったら、違和感が生じていたかもしれない。



「地震警報が鳴った時、すずめだけが上空を覆い尽くしているミミズの姿を見ることができた。他の人は誰も見ることができない。ミミズの元へ向かうと、そこにイケメンがおり、1人で必死で扉を閉めようとしていた」

 すずめは何の理由だったか忘れたが、特殊能力を持っている。

 この映画はたびたび警報が鳴って緊張感を生み出していた。この映画を被災者たちに見せるのは、非常に酷なのではないかと思う。

 インタビューでは新海誠は笑みを浮かべながら質問に答えていたが、この人は「自分は人気があるから何をしても許される」といった傲慢さを身につけてしまったのかもしれない。実際に許されると思います。被災者に配慮する気は更々ないらしい。確かにそのような事を考えていたら金儲けなんて出来やしない。「あくまでも表向きは善人であれば良い」これが多くの成功者の考え方です。


ハプニング要素
「地震が起きたのは、すずめが要石である猫の置物を抜き取ったためだった。封印されていた猫がイケメンを椅子に変えて逃げ回る」

 ストーリーを盛り上げる為には、予定調和を壊してハプニングを巻き起こさなければならない。しかし地震が起きるかもしれないというシリアスなストーリー展開に、椅子に変えられたイケメンがコミカルに動き回る構図はミスマッチすぎやしないか。



 すずめは高校生。地元を離れて遠隔地を旅することになった。その辻褄を合わせるために、旅先で出会った人たちと仲良くなり、ただで泊めてもらったり、おいしい料理をご馳走してもらうという内容にしてあった。

 これは良いのだが、その親切な人は椅子が動き回っているところを見ているのにもかかわらず、何故か不思議がらなかった。「すずめは魔法使いだからね。何かすごいことをしているように思える」で終わっていたが、そんな人がいるわけがない。

 服ももらっていたし、たまたま遠隔地まで車で乗せて行ってくれる人も見つけてしまう。上手く行きすぎだが、有り得ない話ではない。

 猫が扉を開けて回っていた。この猫は何がやりたいのか知らないが、どうやら神様らしい。目的が見えないのでモヤモヤしながら映画を見続けなければならなかった。大して楽しめるハプニングでもない。


 親を震災で亡くしており、すずめの子どもの頃のシーンが出てくる。泣きじゃくるシーンだったが、これも震災の被害を受けた人に見せるのは中々、酷だと思った。

「すずめの戸締り」は、すずめの内面の解消を表現しているのは分かる。しかし舞台を震災にしなければならなかった理由はないはず。金儲けの為に震災を利用しただけなのではないのか。

 新海誠の作品の良いところは映像の美しさだけかもしれない。内容は相変わらず。途中で3回も寝てしまった。


 イケメンは「閉じ師」と言っていたが、これは一体何なのか。代々伝わる一族のようだが、家族が描かれているわけでもなく、アパート暮らしのどこにでもいる普通の人なので、閉じ師と言われてもイメージしづらい。淡々としたキャラ設定なのもミスマッチに思えた。このことは主人公のすずめにも言えることです。親を震災で亡くした設定なのに性格が明るすぎる。苦悩がこちらに全く伝わって来なかった。

 イケメンは先生になる為に試験を受けようとしており「仕事をしながら閉じ師をする」と言っていた。これも意味不明。全国各地に扉があり、それらの扉はいつ開くか分からない。開けば大地震が起きて、多くの死傷者を出してしまう。働きながら片手間でできる仕事ではない。

 閉じ師は良いとしても、何故すずめだけミミズを見ることができたのか。そして扉を閉める仕事ができているのか。この辺りの説明もなかったと思います。見逃しただけかもしれませんが。
 歩く椅子もそうだが、ネコが喋っても、それをあっさり受け入れる人たちに驚きました。アニメだからと言われたらそれまでですが。

 何故だか分からないが上手くいった。何故だか分からないが場所が分かった。など御都合主義のオンパレードだった。
 地震を止める為に行動を取っているのは分かる。しかしこの人たちの動機がどうも見えてこない。すずめは「死んでもいい」と飄々と言ってのけていたが、何故その言葉が出てくるのか背景が描かれていないので、頭の中が「?」となる。親を亡くしているからなのか。苦悩しているようには見えないが。表面的には明るく見せているが、本当の姿は異なる。といったところを見せたいのか。やはりキャラ設定がミスマッチに思える。

 自分の命を顧みず、多くの人たちの命を救いたい。という想いがあるのなら、それを少しは表現して欲しかった。

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 この動機はラストで明かされました。遅すぎる。


 すずめを育てた叔母が、「すずめが何をしようとしているのか分からない」と言っており、旅の途中で出会った人も同じことを言っていた。それは観ている人も同じなのです。完全に置いてけぼりを食らっている。
 ネコを出したのは、ネコを出しておけば可愛いと思ってもらえるからなのか。震災を扱った理由と似たようなものか。安易に感じる。
 要石だったネコが閉じ師を目の敵にしているのもよく分からず。

 ネコはダイジンとサダイジンの2匹がおり、ラストでは、そのよく分からないネコたちや閉じ師が、色々と訳の分からないことを、ごちゃごちゃやって、すずめも何かしら行動を取って解決していた。結局、何がどうなっているのか分からずじまい。

「要石」や「ネコ」「ダイジンなどの名前」など、ありとあらゆることに何らかの意味合いを含ませているのだろうが、調べてみようとする気にはなれない。理解するまで何度も観たいとも思えないし、深く洞察する気もなれない。


 高校生があのような突拍子もない行動に走って行方不明になるというのも、そもそもおかしな話。叔母に反発して出て行ったわけではなく、関係はむしろ良好だった。心配かけるのが分かっているのに、あの行動は不自然。
 震災の被害を受けた人たちは本当にこの作品を見て救われたのだろうか。
 新海誠が「震災の被害を受けた人たちを勇気づけたかった」と発言していた。本当はそんな気持ちなんて微塵もないのではないかと思う。
 中には評価している人もいる。しかし「よく分からないけど、新海誠は凄い」と言っている人ばかりだった。「声優が好き」「映像が綺麗」とかそんなコメントばかり。内容はろくに見ていない。これが現代人の楽しみ方なので仕方ありませんが、いまいち納得はいかない。

「〜の賞を取った人だから面白い」「好感度の高い有名人だから」「今、流行りの人だから」

 結局、ここに行き着く。


 新海誠は「今、生きているのは誰かの犠牲の上に成り立っているからだ」という事を伝えたいようでした。残念ながら、この作品では伝わってこなかったように思えます。
 

 まだ違和感が生じた箇所がある。すずめが命を賭けてイケメンを助けていたシーンです。イケメンだからという理由で命を賭けてまで助ける人なんているのだろうか。

 どういうわけがラストの方では、「お互いの存在が何よりも大切」といった間柄になっていた。何故そうなるのか。


 スポンサーを作品内に出して宣伝していた。このやり口は今後、主流になっていくのかもしれない。

 よく足を運んでいる神社で出会った漫画家が「クラウドファンディングで金をくれたら、漫画に掲載してやる」といった手法を使って金を集めていて、不快に思ったものだが、この手法に対して不快に思う方がおかしいのか。個人的にはステルスマーケティング並に不快な宣伝方法だと感じるのだが、どうやら世間の人たちはそう思ってはいないようです。ということは、私は常識とは逸脱した場所にいるということになるのか。

 表向きに善人を気取って要領良く立ち振る舞っていれば評価はされる。もうそのような時代になっている。実際の人物像がどうであるかは全く関係がない。実力もそれなりに持っていれば良い。別に突き抜ける必要もなければ、トップレベルに上り詰める必要もない。実力があるように思わせたら良いだけ。

 科学的に分析してある「成功者の法則」という書籍にもそのことが書いてあった。

 

 特別な鍵で扉を閉めるといった内容はありきたりに感じた。もののけ姫のデイダラボッチと瓜二つのミミズも登場していたし、扉の向こう側の世界はハウルの動く城だと思った。閉じ師のイケメンはハウルに出てくるキャラにそっくり。ネコは魔女の宅急便。とするのは少々、強引か。わざとジブリに似せたのかもしれない。

 

 すずめは震災で親を亡くしているとは言え、叔母によって何不自由なく生きてこられた人です。それは性格にも現れているし、生活スタイルにも現れている。反対に叔母は結婚することができず、すずめの為に犠牲を強いられた人です。その叔母がすずめに振り回されて疲弊していく姿は、すずめへの共感性を無くすだけでした。
 

 閉じ師が「この仕事だけでは食べていけない」と言っていた。誰からか知らないが、少しはお金を貰っているようです。

 もっと閉じ師に大金を支払ってやるべきではないのか。この職業を軽く見すぎである。命懸けでやっているというのに。この設定もよく分からない。
 

 閉じ師の友達の芹沢とかいう奴は、一体何のために出てきたのか。最後は叔母と良い関係になっていたのには笑えた。有り得なくはないが、年齢差を考えると少々、不自然。叔母も作品中で幸せにしたかったのだろうか。すべての登場人物をハッピーエンドにした方がスッキリはする。

 ターゲット層は震災で親を亡くした人のみと言ってよさそう。その人たちがこの作品を見て共感するのは難しかったでしょう.
 母親を亡くして「悲しい。辛い」いった内容にしたかったのなら、その母親との関係性はどうだったのか、または母親を亡くして、どのように苦しんだのかをもっと描いても良かったように思えます。


 要石のネコが逃げ回ることで地震が起きて、不幸な目に遭う人たちが大勢いた。その時、すずめは「自分の過去に向き合わせるために逃げ回ってくれたのか」とネコの行動を喜んでいた。

 他人の不幸の上に成り立っていることを表現したかったのは分かるが、それを上手く表現できているとは思えない。
 新海誠は間違いなく賞と金を取りに行っている。人の心に訴えかけたい。というのは、単なる表向きのパフォーマンスに思えます。


 子どもだった頃の自分に、すずめが講釈を垂れるシーンがあった。あれは子ども時代の自分に言いきかせているというより、現代のすずめ自身だったり、震災の被害に遭った人たちに向けて話しているのだと思います。

 被害を受けた後に幸運に恵まれて人生が上手く行った人の心には響いたかもしれません。しかし現在も苦しんでいる人は、この作品を見ても不快に思うはずだし、プレッシャーを感じるだけだと思います。
 すずめのセリフは余裕のある人間だけが言えるセリフでした。個人的には消化不良の作品です。