職場の環境がどんどん悪化して行っている。昭和の古い考え方をしている人が多いのか、職員を教育、管理する方向で行くことが決定した。既に1年間で10人ほど退職して職場から逃げ出していたが、改悪を知って更に数人逃げた。負荷をかける遣り方は、さすが戦後から続いた軍事教育を施されてきた日本人だと思う。改善するかもしれないと一縷の望みに賭けて、退職するかどうか悩んでいた人たちにトドメを刺した形となった。
 全員で40人程しかいない職場なのに、1年で10人超は幾ら何でも辞めすぎだろう。パワハラが横行し、元々から働きやすい職場ではなかったが、これでは手に負えない。
 おかしいと気付くことができる人や向上心のある人が中心となって退職し、「管理されるのなんて当たり前」「人は負荷を掛けなければ成長しない」といった古い考え方しかできない人や、何らかの事情があって他の会社に行きたくても行くことができない人くらいしか残っていない。他の会社で雇ってもらえない人や新たに人間関係を構築することができない人、向上心のかけらもない人は齧り付いてでも残ることになる。優遇されている人たちも当然、逃げ出さない。辞めた内訳は看護師が4人、事務員1人、残りは介護士。介護士は7-8人か。驚くことに介護士は全員2階の人。3階は徹底的に優遇されているので退職しないのです。外国人も優遇されているので辞めない。
 同じ系列の施設なんて、12月以降だけで10人は逃げ出しており、次のボーナスを貰ってから逃げると宣言している人が現時点で5人は存在している。恐らく今後も増え続けるはずなので、これはもう本当に終わったと言っても良いと思う。そちらの施設は、バカだの、アホだのと暴言を吐きまくる人がいるらしい。
 人間関係が崩壊しているので骨折した人がいても全員が見て見ぬ振りをする。発見までに時間が掛かる有様です。報告なんてすれば看護師と関わらなければならないので、誰も報告したがらない。第一発見者になれば何を言われるか分かったものではない。下手すれば犯人扱いされてしまうかもしれない。だったら見なかったことにしようとするのは人間の心理を考えたら仕方がないことです。このような職場では退職するのも仕方がないでしょう。寧ろこの環境が作られているのにも関わらず、働き続けている方がどうかしていると思えるほどです。

 職員を数値化して評価することが決まった。人間がAIのように中立性を保って正確に評価を下せるわけがないので、陰で悪質なことをしている人が評価を受けて、真面目に働いている人が低評価を下されるということが必ず起きる。
 医療の学校に通っていた時は担任と副担任が暴力的な考え方をしていたので、自ずと評価されたのは犯罪者気質を持つ生徒たちになった。他人に対して支配的で時には暴力も振るう。暴言を吐いて自尊心を傷つけたり、恥をかかせるなどは日常茶飯事でした。それでも高評価。「よく指導をしている」「リーダーシップがある」と評されていた。
 結局は評価を下す人の価値観に合った人間だけが評価されるということです。
 マナーなどの講義でもそうだが、医療の学校ではマナー講義の点数が高い連中が中心となって犯罪行為に走っていた。京都市の訪問看護ステーションでは職員に対してマナーの指導をしていた連中が中心となって問題を起こしていたのだから笑えない。全く意味がないのです。外面だけを評価しているにすぎない。
 これでは入社する人がいても悪質な連中が残っている限り、すぐに辞めてしまうのは仕方がない。
 人材派遣会社もすぐに退職することが分かっている会社に積極的に人材を紹介することはありません。
「紹介した人が半年働いたら年収の30%の手数料を会社から支払って貰う」といった取り決めがあるので(会社にやって内容が異なる)、すぐに逃げ出す会社に人材を紹介するわけにはいかないのです。
 退職者がここまで多ければ、口コミで広まっていると考えるのが自然。20年も30年も退職者が出続けていたら、会社の体質を知る人が来てくれるはずはない。会社の存在を知らない外部の人を騙して連れて来るしかない。
 私がいる施設も崩壊するのは時間の問題となっている。この辺りが潮時か。しかし、よくこのような体質の会社で1年間も働いたなと思う。早く退職した人たちは被害を最小限に食い止めることができたので賢かったのではないか。
 早い人は数日で退職している。1日来て次の日には休んで、半月後に退職というのもあった。その人は半月の間に出社したのは3日くらいだった。その後、入社した人は1、2ヶ月で退職。会議の後に怒り狂っていたのを覚えている。その日のうちに退職し、次の日から来なかった。鬱になったり、怒り狂って退職といった辞め方が多い。ある日突然、来なくなった人なんてザラにいる。
 自分の主張を述べて、その日のうちに退職というのは日本人の感覚からすれば非常識に当たるのだろうが、個人的には立派だと思った。まだこのような人がいるのかと逆に安心したほどです。
 このような辞め方をした人たちばかりだというのに、退職した人たちが悪く言われてしまうのは、どういうことなのだろう。とは言っても、これは考え方の違いではある。このような会社で働く人たちにとっては、自分たちこそが正しいのであって、退職した人たちに非があり、仕事の出来ないクズ、若しくは人間性に欠けている欠陥品といった位置付けなのです。価値観が180度異なっている。私や退職した人たちにとって正しい事というのは、彼らにとっては間違っている事なのです。
 改善するのは、本当に難しいと思う。体質を変えようと思い、心穏やかな人を雇用したところで無駄に終わる。何故なら速攻、潰されるからです。残るとしたら、現在も残り続ける職員たちと似たような性格の人たちくらいになる。
「きちんと入居者様のことを考えて働きましょう」と言ったところで、人手が足りないので実行不可能。それどころではない。問題のある職員の総入れ替えなんて更に困難を要する。いわゆる四面楚歌状態です。
 本人が変わろうとしてもいないのに、外部から他人の性格を変えることなんて出来るはずがない。結局のところ体質が合わないのなら、さっさと辞めろという話になってくる。価値観が合う人たち同志で好きにやっていれば良いのです。

 短期間でここまで退職者が相次いでも改善するどころか、より拍車をかけてしまうとは…。
「事故や褥瘡、打撲、尿路感染などが多発しているのは、介護士が無能だから」と処理し、今後は管理下に置いて教育制度を導入するということだが、私が思うに、問題が多発しているのは職場の人間関係に問題があるからなのです。一部の人間が好き勝手にやり、次から次へと職員を退職に追い込んでいる。その結果、数が足りなくなって問題が起き始めたということ。人手が足りないので事故が多発するのは当たり前。1人であれもこれも時間を掛けて丁寧に同時進行にこなせるはずがない。入って来ているのは新人であり、また日本語も堪能ではない外国人。しかも少人数。どうしても事故の類いは起きてしまう。
 問題が多発した原因を介護士に持って行くとは、中々、上手くやったなと思う。評価制度を導入し、指導と称して一人一人呼び出して指導し始めたので、この人たちは更に評価が上がり気分は良いだろうが、やられている方は堪らない。指導を見たが、職員たちが看護師たちに頭を下げて「ありがとうございます」とペコペコしており、見事に主従関係が作られていた。もうその行為自体がおかしいと思える人はこの会社には残っていない。

 相変わらず入居者を物のように扱う行為は無くなっていない。歩くことができる人も歩かせずに浴室まで車椅子で連れて行くなどは普通に起きている。ベッド〜車椅子間の移乗動作も物のように投げ飛ばす遣り方。入居者が動いてくれるのを待っていられないので、立つことができる人であっても投げるように移乗させている。個浴で入浴できる人であっても、あれこれと理由を述べて一般浴(大きな浴槽)に連れて行くようにもなった。「時間がない」「人手が足りない」という正当化できる理由があるので、改善することはもはや不可能になった。適切な介護をやってもらおうとしても、「もし何かあったら責任取れるのか」という話に発展するので、無理矢理にやらせる訳にもいかない。そもそも人手が今より足りている時ですら、物のように扱っていた人たちでもある。入居者のことを考えて、適切な介護をしてくれそうな人たちは退職してしまった。その人たちの中には「こうしたらどうか」と意見を述べる人もいたが、悉く却下され、潰されて退職に追い込まれてしまったのです。拒否されてしまっては、どうにもならない。
 2階と3階は対立しており、フロア間で協力することはない。これも上手く行かない理由の一つとなっている。
 私は介護士ではないが、煽りを食う形となっている。思考するのを止めてロボットのように無機質に働き続ければ良いのだろうが、それをし始めたら終わりだと思う。さすがにそれはしたくはない。
「入居者なんて高齢ですぐ死ぬし、本人たちも長生きしたいとは思っていない。だから適当にやっていれば良い」という意識の元で働かないと、この仕事は中々、続かないのだと思う。
 世の中の医療、介護職員の大半が実はこの考え方をしている。残念ながらそれが現実なのです。
 結局、真面目に働くとか、人間性なんてのは一切不要ということ。寧ろこれらは生きていく上に於いて足枷にしかしならない。他人に対して暴力的で支配的な方が生きやすいのは確か。真面目に働いたところで、「働いていない」言われることも良くある話だし、実際に言われたこともある。結局は要領の良さこそが全てなのです。早期に退職していった人たちのフットワークの軽さを少しは見習わなければならない。
 数ヶ月で退職したら経歴に傷が付く。といった、この下らない慣習は何とかならないのかと思う。


 修正する為に再読しました。これから修正に入りますが、内容に変更はありません。


 今回は京都御苑の幕末巡りの話です。下の写真は冷泉家の建物を写したもの。当時のまま現存しています。

 明治維新が起きて以降、天皇が東京へ行ってしまい、それに帯同する形で多くの公家が付いて行くことになった。その為、京都御苑内に構えていた屋敷類はもぬけの殻。閑散とした場所になりました。冷泉家は京都御苑の外に屋敷を構えていたこともあって、付いて行くことはなかったので、放置された屋敷の管理を任されることになり、この地に住み続けたわけです。

 今、現存している建物は冷泉家くらいではないか。時折、公開しています。


 今出川御門から入ります。かつては両サイドにずらっと屋敷が並んでいた。右側は近衛家の屋敷跡です。現存するのは庭園のみ。


 

 庭園には糸桜があったらしい。現在はこの周辺に枝垂れ桜が植えられており、観光スポットになっている。


縣井(あがたのい)

「江戸時代まで五摂家の一つだった一條家の屋敷があった場所。井戸水は明治天皇の皇后となった一條美子の産湯に用いられたと伝えられており、古くから名水とされた」


 五摂家は全て藤原氏です。


 中立売御門から眺めた景色。禁門の変では、長州藩に対抗すべく、この門を筑前藩が守っていたが、来島又兵衛(遊撃隊隊長)が正面の道から姿を現したのを見て、すぐに逃げ出したという逸話が残されている。南北を走る烏丸通りは道路を拡張しているので、当時はもっと狭かった。


建礼門

「天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる最も格式の高い門。京都御所の一般参観時にも開門されることはない」


 来島又兵衛が亡くなった場所とされる。どこまで本当なのか怪しいものです。


 蛤御門へと向かいます。今は通りに沿った場所に門が構えてあるが、当時は少し奥に入った所にあった。向きも異なる。


 蛤御門で撃ち合ったのかと思っていたが、どうやら長州藩は右側の道からやって来たのだそうです。


 向きが異なるので、銃痕も本当に当時のものなのかと疑いたくはなる。


 銃撃戦があったのは確かなので、銃痕なのだとは思うが、何故、この門だけ残されているのか。




 南下します。長州藩はこの道からやって来ました。天皇を崇拝する思想はなく、ただ政治利用しようとしていただけだが、尊王という大義名分を掲げていた長州藩。


 西園寺家の屋敷跡


白雲神社

「西園寺家の鎮守社。明治になって西園寺が東京に行ってから白雲神社の名称に改められた」


凝華洞跡(ぎょうかどう)

「後西天皇退位後の仙洞御所があった場所。幕末、1864年禁門の変の頃、京都守護職である会津藩主、松平容保が仮本陣にした場所でもある」


 イチョウや松の木が有名か。当時あった池は埋め立てられました。松の木のところにあった灯籠は九条池畔に移されているが、戦時中に金属部分か何かを使われてしまい形が変わってしまった。

 ここから南にあった鷹司邸に立て篭もる長州藩に大砲を打ち込んでいたとされます。他の公家からすれば、大変迷惑な話です。


九条池


 遠くに見えるのは厳島神社


 京都三大鳥居の一つ


 午前は幕末巡りで、午後は嵐山。この時点でかなり疲れていたが、気力を振り絞って嵐山へ向かいます。

 次回へつづく。