前回の続きから。

 ヨガ、青龍の奉納の後、日吉大社の山王祭 船渡御(ふなとご)を観に行きます。白川沿いを歩いて駅へ。場所は唐崎。



光秀の首塚

 白川沿いにある「餅寅」を経営している人が光秀の縁者らしく、光秀の首塚を管理している。


穴太駅(あのお)

 戦国時代に穴太衆(あのう)という石垣を築く集団がいましたが、その穴太です。駅の方は「うではなく、お」になっている。穴太駅から坂本にかけて石垣が今も残されています。


 ローカル駅ならでは。素朴な美しさ。


 船渡御は琵琶湖で行われます。


知る人ぞ知る高穴穂神社

祭神は景行(けいこう)天皇。社伝によると、景行天皇が高穴穂宮で崩御した後、次の成務(せいむ)天皇が先帝の遺徳を偲び宮内に祀ったことに始まるという。本殿の背後には、高穴穂宮の跡碑が建つ。高穴穂宮は『古事記』と『日本書紀』に登場し、大津で最初の都と伝えられるが、現在、高穴穂宮の存在を裏付けるような遺構・遺物は見つかっていない」



 古事記や日本書紀に「志賀高穴穂宮」の記述があり、社伝もあるとはいえ、それを裏付けるものが見つかっていない。景行天皇(4世紀頃)も実在したか定かではない。というのも日本の歴史に於いて3世紀後半から5世紀後半の約150年間は記録が少ない空白期間となっているからです。邪馬台国はその少し前。邪馬台国以降は日本の文化が激変した時期で、大和政権ができた時期に当たります。よく箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないかと言われますが、どう冷静に考えても時期がズレている。邪馬台国以降に造られたと見るべき。

 大津京から坂本にかけては、地中に無数の古墳が眠っているので、いつか必ず歴史的大発見がある。


 4/14なので、まだ桜が咲いている。長閑で良いところ。


盛安寺

 年に何回か特別公開をしていることを知ったので、また訪れることになる場所です。今回は素通りします。


 琵琶湖に到着


 既に始まっていたが、タイミング的には丁度良い。


 神輿は全部で七基



 今までどうしてこんな場所に鳥居が。と思っていましたが、どうやら日吉大社の祭りで使われる場所だったようです。思えば鳥居の形は山王鳥居になっている。山に王を表していると言っている人もいれば、人、神、仏を表していると言っている人もいる。



 武者の掛け声で神輿が次から次へと運ばれて行きます。


 段差を乗り越えるのが大変





 神輿は坂本の日吉大社から琵琶湖まで運ばれて、そこからトラックに積まれて唐崎まで運ばれてくる。


 どうやって沖に出るのかと思っていたら


 まさか台ごと運ばれていくとは


 後ろに見える山は神聖な山とされる三上山。


 船の上でも神事が執り行われる。



 日吉大社付近は大混雑したはず。船渡御は人が少なかった。


 まだ端の方に微かに見えているが、みんな帰るようです。もう神輿は戻って来ないのだろう。




 何をしているのか、爺ちゃんが1人で座っている。写真撮影を楽しむ誰かを待っているのか。



 また高穴穂神社に戻ってきました。この神社でも祭りが行われているらしい。


 穴太駅に到着


 この後、10年ぶりにライブに行こうかと思っていましたが、チケットを購入しなくて正解だった。すでに2万歩を超えている。これ以上は無理。