小説を販売中です。こちらは電子書籍なので試し読みができます。


 こちらは紙の小説。


 楽天ブックでも販売中!


 冒頭というより序章ですが、15分ほどの動画を作成しました。



 Amazonからメールが来ました。配達員も大変。本当に怪我をしたのか、玄関先まで持ってくる時間的余裕がなかったのか知らないが、大変さは伝わってくる。



 今回は「むらさきのスカートの女」の紹介です。



 一度だけ今村夏子の小説を読んだことがあります。「星の子」だったか、新興宗教の家庭に生まれた人が主人公の小説です。独特な雰囲気があり、個性的だったので、ブログで読むことを勧めました。ようやく「むらさきのスカートの女」で何かの賞を取ったようです。直木賞か芥川賞のどちらかだったと思います。



主人公

「いつも近所の公園にいる、むらさきのスカートの女を観察する女の子」


冒頭

「むらさきのスカートの女の紹介から」


・1週間に1度位の割合で、商店街のパン屋にクリーンパンを買いに行くことや容姿のことなどを書いている。

・むらさきのスカートの女は近所の公園に「むらさきのスカートの女専用シート」と名付けられたベンチにいつも座っている。

・1日2回見ると良いことがあり、3回目だと不幸になると言うジンクスがある。

・女性の特技として人にぶつからないというものがある。そのため街の人はわざととぶつかろうとするが、ことごとく失敗する。

・じゃんけんに負けた子どもが女性にタッチして、逃げると言う遊びが流行る。

女性は商店街の人間には知られた存在。

女性はボロアポートに住んでおり、無職と思われているが、実はごく稀に働きに出ている。



 女性は街の人たちから嫌われているわけではなく、むしろ愛されている。仮に女性が被害を受けた時には街の人たちが守りに入りそうなくらいです。

 変わった人間を書く場合、馬鹿にした内容にしたら、読者から反感を買うことになるので、自ずとこの内容になると思います。

 主人公からの視点で、むらさきのスカートの女のパンの食べ方や女性に対しての町の人たちの反応など、日常生活の描写が秀逸でした。特に大きなハプニングらしきことは起きませんが、楽しんで読んでいられる本です。


「パンを食べている時はいつも空の1点を見つめている。集中している証拠だ。食べ終えるまでは何も見えない、聞こえない。モグモグ、ぱりぱり。おいしい、おいしい」



 主人公は女性と何とか友達になろうと試みます。行動パターンを把握するなどをしており、この主人公もかなり変わっている。

 むらさきのスカートの女への愛情が伝わってくるが、女性に対する評価はなかなか辛辣である。例えば「しまいには何を血迷ったか、カフェ店員の面接を受けようとする始末。普段、公園の蛇口から出る水を飲んでいる人間がカフェとは。あらゆる面接に落ち続けるうちに、とうとう自分を見失ってしまったのだ」などと書いてある。


 主人公の努力の甲斐があって、女性はやっとバイト先を見つけます。

 主人公が世話を焼こうとして失敗する描写が面白い。

 むらさきの女が古参スタッフから陰口を叩かれる描写はリアリティがある。この人たちにとって評価を受ける職員は邪魔で仕方がないのです。自分たちに服従する人間のみを重宝して権力を維持したいという思いがあるので、様々な嫌がらせを仕掛けてくる。もちろん見えないところで印象操作を行って評価を下げるなど、この手の人間の手口の悪質さには反吐が出ます。

 職場にもいますが、言ったところで改心することはあり得ないのです。この人物さえ退職すれば全てが好転していくことは間違いはないが、この手の奴に限って辞めないのです。

 定年退職をした後もパートか派遣として働き続けており、会社を蝕み続ける迷惑極まりない人間となっている。この人物1人のために一体どれだけの人たちが辞めて行ったことか。こちらとしては辞める環境を整えておいて、タイミングが来た時に逃げるという道を選ぶしかない。


 むらさき色のスカートの女は上司に認められてから生き生きとするようになり、公園で子どもたちとも遊ぶようになる。意外にも明るい性格をしている。

 主人公はむらさきのスカートの女と接点を持ちたいと願っているが、中々、そのチャンスが訪れない。他人と仲良くしているところを見てヤキモチを焼いたりしている。


ハプニングも盛り込んでいる

 しかし順調なのも束の間、むらさきのスカートの女は徐々に窮地に追いやられていきます。原因は妬みによるもの。周囲の人間の身勝手さや嘘が彼女を追い込んでいく。主人公がお節介を焼くことで事態が悪化していくところも見どころの一つです。


 

 最後のオチはまあまあでした。むらさきのスカートの女が最終的にどうなったのか非常に気になる終わり方だった。何も悪いことなんてしていないのに、要領が悪いばかりに徹底的に不幸になる様は現代社会を見ているかのようでした。

 この小説のように、人間のクズと言いたくなる奴らは大して痛い思いをせずに生きていられるものです。そのことがよく分かっている作家なのだと思います。綺麗事なら幾らでも言えるが、現実はそうではない。綺麗事をドヤ顔で言っている人たちは恵まれた環境にいるだけなのです。

 巻末に作家さんが自分の過去を語っていた。私がこの作家の作品が好きな理由が分かった気がしました。

 この作家も上手く行く人生を送って来なかった。それが良かったのだと思います。何もない人生や順風満帆な人生を送っている人の作品なんて、例え売れていたとしても内容は薄っぺらくて、とても読めたものではありません。

 そのような人とは接していても少しも楽しいとは感じないし、魅力も感じない。何も得るものはありません。発言に不快な思いをさせられることも、しばしばある。


 この作家が、「自分の書いたものを読み返す時、何とも言えない嫌な気持ちになる。気持ち悪い」と書いてあった。この感覚は分かる気がします。

 この作家は、好きになれる日が来た時のことを想像していて、「毎日ニコニコ、楽しく暮らしているに違いない。自宅にしょっちゅう人を招き、強制的に本棚の前へ連れて行き自慢する日々を送っているに違いない。そのような日が来た時は小説を書いていない気がする。書こうとも書きたいとも思ってすらいない」

 と書いてあった。この感覚は大事だと思います。分からない人には一生分からない感覚だと思う。

 

 知り合いに本を出版するなりをして、何らかの形で成功を収めた人たちがいるが、この人たちに共通しているのは裏表を使い分けているところです。表向きに見せている姿と実際の姿が異なっている。口から出てくるセリフだけは立派です。

 私には、この人たちが顧客や周囲の人たちを騙しているようにしか見えない。本人には罪悪感などなさそうで、「このような行動を取るなんて当たり前でしょ」といった感じである。表と裏を使い分けて一体、何が悪いのかと言わんばかりです。優越感に浸っており、SNSで優雅な生活を見せつけたりと常に着飾って必要以上に自分を大きく見せている。

 きっと内面が満たされていないのだと思います。内面の空虚さを埋めるために、この人たちは必死なのです。このような人みたいになったら終わりだとすら思えます。


 外国人による解説が最後に掲載してあった。相変わらず解説というのは下らないものだと思い知らされます。大した見解が述べられているわけではありません。単純に分かりやすく表現できるのにも関わらず、自分を大きく見せたいが為に大袈裟に書き連ねる手法を使っている。

 作家は無駄を削ぎ落とすことを意識して書いているが、この解説をしている人は真逆のことをしている。何と言って欲しいのだろうか。あなたは随分と聡明な方なんですね。と言えば喜ぶのだろうか。

「むらさきのスカートの女」は海外でも販売されているようで、海外の作家もコメントを寄せている。「読者を引きつける綿密な描写と針金のように張りつめた文体。素早く心臓を刺されたかのような衝撃的な読書体験」と書いてあった。読者を引きつける〜は分かるが、針金のような張り詰めた文体とは一体なんだろう。素早く心臓を刺されたかのような衝撃的な読者体験というのは幾ら何でも大袈裟ではないか。良い小説なのは分かるが。


 この作品の良いところは単純に笑えるところだと思います。むらさきのスカートの女という変わった女性を第三者が見ている構図で書いていますが、その見ている人も歪んでいるところに面白さがある。解説者たちは、そこに社会情勢やフェミニズムなどを持ち出して、「この作家は〜を伝えようとしている」などと勝手な講釈を垂れているが、その見解はどこまで合っているのだろうか。解説というのは、どうにでも解釈できることを無駄に書き連ねているので、やはり読んでいて疲れる。

 作家も隔絶された世界で生きているわけではなく、社会に組み込まれて生きているので、日本の家父長制社会、女性が軽んじられているとされるフェミニズム、いじめやストーカーなどの要素は作家の頭の中にも入り込んでいるのは当然。それらの要素が作品に全く反映されていないとは言わないが、無理矢理すぎやしないかと思う。どうも、この手の人たちは苦手。中身があるようでいて、全くない解説でした。

 解説は、おそらく作家としては意識もしていないことが書いてあると思います。

 この解説者は子どもが行うゲーム(鬼ごっこなど)にも言及していた。「人生と同じように勝者もいれば敗者もいる。裏切りもある」といった表現をしており、「そこには残酷さがあるのだ」と言いたげだった。これを、むらさきのスカートの女の作品を絡めて、「もしかすると、むらさきのスカートの女は語り手を騙していたのではないだろうか」などと書いてあって笑えた。合っているかもしれないが、どうしてこうも一々、大袈裟に書きたがるのか。



 何はともあれ良い作品なのは間違いない。衝撃的なことが起きるわけでもないのに、最後まで引っ張り続けていられるのは能力の証だと思います。

 この作品を否定的に捉えた人のコメントの中に、「ラストに語り手(主人公のこと)があんなことをする理由が分からない」とするものがあった。しかし海外の人に分かるはずがないのです。ラストは日本のサスペンスドラマを知らないと笑うことができない内容になっていた。サスペンスドラマにありがちなセリフを吐いているところに面白さがあるので、これは外国人には分からないのは仕方がない。むしろ楽しめた人は何が理由で楽しめたのかと思う。


 この小説はお勧めできます。