何が面白いのかと思われるかもしれないが、Y字の探索をしてきました。
写真は分かりにくいが、Y字の先に教会があります。Y字を有効利用して教会を目立つ位置に配置している。
その先もY字が。京都は市内も郊外も碁盤の目の町づくりが基本ですが、出町柳周辺だけは、その作りになっていない。
Y字は有効利用しづらいので、あまり好まれないのです。
猫の譲渡会をやっていました。
明治時代の石碑。当時は人力車の移動が主だった。通勤というよりは観光巡りに使われていたとか。通勤の移動手段に使っていたのは、金持ちくらい。
この地域は本当にY字の道ばかり。歩いていると方角が分からなくなってきます。
パノラマで撮らなかったことが悔やまれます。何とこの交差点は七叉路。
右側の道は元々、川だったところです。今は暗渠として道路の下を川が通っている。川は道路の道順に沿って綺麗に流れたりはせず、斜めに流れることが多いので、自然とY字が出来上がります。
水門の跡。板を嵌め込んで水を堰き止めていた。場所は清風荘庭園の隣。ここも川が流れていたことになります。
反対側は水門の跡はなくなっていた。
よく分からないが、おそらく川が流れていたと思われる。
地下鉄が走る場所までやって来ました。ここにもY字。
先ほどの小道を反対側から見た景色です。ぐるっと回って来ました。
元、川だった場所を歩いていきます。
またY字を発見。
Y字の先端を上手く使っている。庭園にしているのは珍しい。
先端には地蔵菩薩が祀られていることがある。少しずつ町から地蔵が減っているのが気になります。
高低差のあるY字は中々、見かけない。これは貴重。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズが建てた建築物。有名らしい。
京都大学基督教青年会 地塩寮(ちえんりょう)
これも同じ人が設計した。
「空にかける階段」と呼ばれているオブジェ。京セラ美術館や京阪三条駅でも見かけます。
無駄に広い道路。この場所を路面電車が走る予定だった。実験の邪魔になるからと抗議をした教授がおり、それが理由で頓挫しました。
明治時代のもの。京都市有地と書いてあります。京の口の中に・が打ってあるのが特徴です。明治以後から・が無くなったと聞きました。これも貴重です。
この古いアパート群は京都大学の学生寮として利用されている。
京都の路地を歩いていると化粧が施された地蔵をよく見かけます。化粧地蔵と呼ばれていて、マニアが数多く存在する。
化粧は地蔵盆の時期に新しく塗り替えられます。地蔵盆も減ってきている。
またY字発見。自転車が置いてある場所に、かつては地蔵が安置されていた。地蔵が無くなるスピードは驚くほど早い。
右奥に見える山は大文字山。
ミラー越しに見るY字。
砂川町と書いてあるが、砂川町という地名は存在しない。古くから、この地域でそのように呼ばれています。この地名にしてしまえば良いのに。
この道も川だった。大文字山から砂が大量に流れ込んでいたことから、砂川と名付けられた川です。因みに祇園あたりを流れている白川は、その砂が白いことから名付けられた名称です。どちらの川も同じ山から砂が流れ込んでいます。銀閣寺にある盛られた砂も大文字山の砂です。
左が砂川。右は砂川の沿道。この場所で別れていた。その名残りを見ることができるとは感慨深いものがあります。
川が流れていたので、かつては染物屋もありました。
奥側で道路が左に曲がっています。道を曲げた理由は、そこに清風荘があるからです。市が開発しようとした時に「真っ直ぐに道を延ばしても構わないが、木の伐採費用は市が負担して欲しい」と清風荘の管理者から言われ、戦後でお金がなかった京都市が伐採せずに道を曲げたのです。
向こう側にある道は元々、砂川が流れていたところです。もっと町に川が流れていて欲しい。
一応、Y字。元々、牛舎があった。その名残りでY字になったらしい。
奥の建物が牛舎。今は別の物として利用されています。
また水門の跡を見つけました。場所は出町柳駅近くの郵便局付近です。
何のマークだったか。染物屋か何かがあった場所の名残りです。これも郵便局の近く。
出町柳駅の前にある常林寺。元々は道路まで土地を所有していた。出町柳駅から線路を延ばす計画があり、その時に奥に引っ込められてしまった。その計画は途中で頓挫したので、余った土地が駐輪場として利用されているのです。
町歩きは様々な発見があるので、お勧めです。