また晴天に恵まれました。ゴールデン龍馬が光っている。


 中岡慎太郎と龍馬が運ばれた急坂(今は階段)を昇って行きます。


 今日の目的は書道。習ったことはない。書道は中学生以来になる。


 お馴染みの霊明神社



 書道アーティスト蘭鳳


 今回はやけに人が多かった。ぬいぐるみ病院の経営者や京都信用金庫のクエスチョンを担当している人、地域の活性化の為に行動を取っている人など、いつものメンバーに加えて、初めて会う人たちで大盛況だった。


 字は一文字。今年の抱負や好きな字など何でも良い。丁寧に書いても仕方がないので、崩して書くのだが、どうも崩し方が分からない。龍や翔は誰かが書きそうだったので、それは選ばなかった。


 練習した後、色紙に書きました。左に寄ってしまった……。あまり舞っている感がない。


 ぬいぐるみ病院の人は「道」。孔雀の羽の筆と猪の毛で作った筆を同時に使って書いていました。山あり谷ありを表したのだとか。


 「道」の後、「母」を書いていた。最近、分かり合えて仲良くなったとか。墨を色紙に飛沫のように垂らしていたが、それに何の意味があるのかは聞かなかったので謎のまま。やりたかったからとは言っていた。


 ドイツから来たマキシ君。まだ未成年。3月頃には帰ってしまうそうだ。家族は何となくキリスト教を信仰しているが、マキシ君は関心がない。「るろうに剣心」という漫画を読んで新撰組が好きになったと言っていた。

「帰国する前にマキシ主催の御朱印のイベントを開こう」と言っていた話はどうなったのだろう。


 イベントの後は打ち上げ。前回と同じ沖縄の店「しんえもん」に行きました。


 webデザイナー兼レンタルスペースの経営者と奥さん。


 他はマキシ、整体の経営者、ゲストハウスの経営者、神主さん、書道アーティスト。マキシの親はドイツで歯医者をやっている。謂わば勝ち組の人たち。勝ち組以外は来ない。


 この店で書道のパフォーマンスが行われました。



 三味線の音色に合わせてのパフォーマンス


 店には他にもお客さんがいました。その人たちからの要望も含めて、書く字を決めました。



 身体に付着しても、良い墨ならば拭き取ることができるらしい。


 インスピレーションで何か字を書いてくれと言ったら、書いてくれました。筆は猫の毛で作ったものだそうです。その字と筆を選んだ理由を話してくれましたが、よく見ているなと思った。

 インスピレーションで書くのは初めてと言っていたが、案外向いているのではないか。洞察力に優れている。


 2回目のパフォーマンス。本人が伝えたい言葉なのだと思う。


 空いてしまったスペースにハンコを押して誤魔化してみました。


 こちらがインスピレーションで書いてもらった字です。



 書道アーティストの師匠はテレビなどで活躍している人です。テレビで見せる姿とは異なり、小姑みたいな性格らしく、次から次へと人が辞めていくとか。蘭鳳さんはそのタイミングで偶々、入り込むことができたので、良いポジションに付くことができている。

 実力があっても運がなければ、その才能が開花することはない。辞めて行った人たちの、その後が気になります。蘭鳳さんは、その師匠を選んだのも偶々だったりする。

 蘭鳳さんは自身の作品をロンドンで展示することが決まったようです。それは何かのイベントで売り上げ上位に入ったからであり、必ずしも実力というわけではない。呼びかけによって他の人たちより多く売り上げることに成功したのです。知り合いがどれだけ多くいるかが勝負の分かれ目となった。

 書道のイベントが始まる前に数年ぶりに再開した人と話しをする機会がありましたが、その時に聞いた話も似たような話でした。

「ルーブル美術館の隣で展示会を開かないか」と話を持ちかけられたが、その人は資金がなかった。しかしクラウドファンディングで資金提供を募ると、仲間が協力してくれて展示することができた。という話です。クラウドファンディングに成功する人もいれば、失敗する人もいる。愛嬌のある人は何の苦労もなく、資金が集まるものです。これも実力とは関係のないところで勝敗が決まっている。

 書道アーティストの人も「金さえあれば海外で書道アーティストとして成功するのは簡単にできる」と言っていた。やはり実力は二の次。蘭鳳さんに実力があるのは確かだが、他にも同程度の実力を持つ人や、それ以上の実力の持ち主は沢山いるのだろうと思う。


 実力はある一定水準に達していれば良い。後は運と要領の良さ、女の人の場合はルックスや愛嬌。人気。それらが無かったら幾ら実力があったとしても無駄に終わるということです。

 恵まれた人は「〜すべき、〜をすれば成功する」と簡単に話すが、現実はそこまで甘くはない。成功例だけを見ているから、その言葉が一見正しいように思えるだけであって、実際はその行動だけでは全然足りない。成功確率が違う。

 

 マキシも海外生活をして様々な経験を積むことができているのは、親に恵まれたからです。何も恵まれなかった人は経験することすらできず、何も身に付けることはできません。成長スピードの差は歴然としている。

 レンタルスペースの経営者も偶々、上手くいって軌道に乗せることができた。運というのは、それほど重要な位置を占めているのです。

 有料老人ホームで働いていた時に出会った不動産王も、最初に手に入れた不動産が偶々、大当たりしたからこそ、そこからサクセスストーリーが始まって、ノウハウを手に入れることができている。

「挑戦すべき」と言うのは簡単だが、恵まれていない人はスタートラインにすら立つことができないのが現状なのです。

 今まで会ってきた介護士たちを見ていると、家庭に恵まれなかった人なんてざらにいるし、結婚生活も上手くいかなかったり、上手くいっても子どもが重度の障害を背負って生まれてきたなど大変な生活を送っている。恵まれている人と同じ行動なんて取れるはずがない。

 金持ち家庭の子どもの方が貧乏家庭の子どもより良い大学に入ったり、大企業に勤めたりしているのは既に証明されていることです。この事実を否定するには、「親に恵まれなかった人でも〜することができている」といったようにレアケースを取り上げるしかない。そのような人は探したら何処かにいるに決まっている。それを同列であるかのように語るのは間違っているはずです。

 前述したように、実力は一定水準まで達していれば良い。後は運と要領の良さ。恵まれない人たちにできる事があるとすれば、せいぜい成功確率を上げることくらいでしょう。