正月に帰省した際に門司港へ寄ってきました。


 門司港はレトロの町です。


 門司港レトロ展望室からの眺め。遠くに見える橋は関門橋です。


 平家と源氏が戦った壇ノ浦も一望できます。


 展望室にはカフェがあるのです。


 ここに来た目的は故人に手を合わせるため。遠くに巌流島が見えます。散骨した場所に向かって心の中で合掌。というより乾杯の気持ちの方が強いかもしれない。ただ姿が見えなくなっただけです。


 関門トンネルの入り口が見えます。


 滅多に上がらない跳ね橋


 下の港に店舗が密集しています。かつて、この場所に海上レストランがあったのだが、いつの間にか無くなっている。確か芸人の父親が経営していたはずなのだが。



 これが巌流島。後ろに工場地帯があるので、あまり景観が良くない。埋め立てたので、宮本武蔵が上陸した頃とは別物です。


 跳ね橋は船が通る時に上がります。


 今年から弟夫妻とは別々に正月を過ごすことになりました。


 親戚たちは頭を下げてまで、弟夫妻の自宅に行ったらしい。分骨した遺骨に手を合わせる為ですが、そこで高圧的な態度を取られ、暴言を吐かれたと言っていた。

「色々してやったのに礼の一つも言ってこないのはおかしい」だとか、相変わらずの上から目線の対応で、様々な暴言を吐かれた様子。


 弟夫妻は車で5分も掛からない距離に住んでおきながら、故人に会いに来ることは殆どなかった。「色々してやった」と周囲の人たちに話して回っているが、他の親戚たちと比べると劣ってしまう。しかも故人の命を縮めた要因を作ってしまったほど、お粗末な対応ばかりしていた。

 食べる事が殆ど出来なかったのに2ヶ月間も放置して、故人が「病院に連れて行って欲しい」と言うまで何もしなかった。仮に亡くなっていたら刑事事件として色々調べられたのではないか。

 他には利用できるはずの訪問看護を「利用できない」と故人に説明して、利用させなかったり、「施設へ入所したら孫や子どもたち、そして家族とは会えなくなる」と伝えて、これも利用させなかった。(実際は面会可能だった)

 他にもまだまだあるが、様々な間違った情報を故人に吹き込んでいた。

 亡くなる前には、孫に会わせようともしなかった。弟も故人の家に来なかったが、その理由として「腰が痛かったから」などと、やはり適当な嘘をついていた。タイミングが良すぎる。

 亡くなった後は、故人の携帯電話を家に持ち帰ってもいた。故人の知り合いに連絡する為と言っていたが、他のことは大して何もしなかったのに、何故これだけは積極的に行なったのか。メールの内容をチェックしたかったのかもしれない。他の人との遣り取りを一通り調べて、自分たちが送信した不都合なメールを削除するなどをしたのだと思う。

 その持ち帰った携帯電話は、通常ならば家にまで来て、一緒に住んでいる故人の妹に手渡しするものだが、なんと集合ポストに投函して、そのまま帰ってしまったとのこと。もちろん留守にしていたわけではない。

 故人がまだ生きていた頃は、弟夫妻は子どもを故人の家に預けることが度々あった。しかし子どもを迎えに来る時は、故人の家に来ることはなく、「近くのコンビニにいる」と言って、その場所にまで子どもに来させていた。そこまでして会いたくなかった理由は誰にも分からない。そのうち子どもが「故人の家に遊びに行きたい」と言っても、その声を無視するようになって、来る回数が激減してしまった。

 弟夫妻の家に行った時にホームビデオが流されていたことがある。弟の嫁の親たちと弟夫妻が、故人やその家族、親戚たちの悪口を楽しそうに話している内容で驚かされた。あれが奴らの本音なのは間違いない。

 葬式は近親者のみで行うことになっていたが、どういうわけか弟の仕事仲間たちの土建屋が何人も来ていた。故人とは面識のない人たちばかりで、故人が生前嫌っていた弟の嫁の家族も多数来ていた。晒し者にされて、さぞかし故人は不快だったことだろう。仕事仲間を呼び寄せたのは、自分の葬儀での立ち振る舞いを見せつけたいだとか、仕事に結びついたらなどの考えがあってのこと。

 昔から弟は打算的に考えて行動を取るところがある。そして行動の殆どは妻にやらせている。これは自分の手を汚したくはないから。そして後で言い流れをするため。親と一緒に住んでいた頃は、その役目は親が担っていた。私がこの手の要領の良い人間を毛嫌いするのは、これが理由なのだと思う。バックボーンとして家族の存在がある。

 葬式の後、故人が亡くなったことを知っているはずのない人たちが、何故か亡くなったことを知っていた。この土建屋たちが様々な場所で話したからでしょう。親戚たちで吹聴して回るような人はいない。

 生前、故人は末期癌で衰弱していることを「誰にも伝えないで欲しい」と言っており、故人と仲の良かった人ですら、亡くなるまで癌であることを知らされなかった。プライドが非常に高い人だっただけに、弟夫妻の行動は残念に思える。意図的にやっているのだろうか。故人が嫌がることばかりしている。

 結局、年末年始に亘って、一度も向こうから連絡が来ることはなかった。これで縁が切れて円満解決になるのなら、それに越したことはない。しかし今後も色々やらかしそうではある。



 取り寄せたお節料理の質が低くなっていた。来年からは買うのを止めて自分たちで作ると言っていたが、この声は様々なところで聞かれるようになった。

 広告には力を入れていて、顧客の錯誤を狙った謳い文句を並べて、写真を豪華にする。それで金儲けができたら大喜びをするわけですが、これは日本全体のモラルの低下を物語っているのではないかと思う。相手を騙して、いかに効率よく金を稼ぐか。これが主流になってきているわけですが、これを戦略と言って誇らしげにするのだから、手に負えない。

 そのうち正月にお節料理を食べるという習慣すらなくなる日が来るのかも。


 たまたま散骨の時に乗船した船を見つけました。


 近くの栄町商店街で見つけた海鮮パフェ。さすがに食べる気にはなれない。


 変わった食べ物が好きな人は足を運んで下さい。


 海上レストランの営業を辞めて、この場所で新たに店をオープンしたらしい。調べたらオーナーはロバート秋山という芸人の父親でした。店名はファンキータイガー。船の名称をそのまま引き継いでいる。


 ファンキータイガーがあった港。


 門司の名物の焼きカレーを注文。上に載ってあるものはクジラ肉のカツ。何年ぶりだろうかクジラを食べるのは。あまり固くはなく、クジラと言われなければ分からない味と食感でした。


 うろうろしていて、見つけたカフェ。


 夜は演奏もあるらしく、何日か前にダイヤモンドユカイが来たみたいです。


 趣きのある店でした。


 正月だけで体重3キロは増えた。動かずに食べてばかりいるから仕方がない。


 正月にしては、人は多かった方ではないか。


 シャボン玉で遊ぶ家族連れ


 来た時は船と地面は同じ高さだったのに、数メートル水位が下がっていてビックリ。3時間くらいしか経っていない。


 銀河鉄道999のラッピング電車。


 またおかしなパンを購入してしまった。


 緊急事態宣言が開けてから、人が極端に増えた。このカレー店はもぬけの殻だったのに、激混み。新大阪駅近辺です。


 今回の戦利品。バナナのカステラ。バナナは門司港名物の一つです。バナナの羊羹やプリン、ドレッシングなど、バナナは様々なものに使用されています。


 美味しかった。


 別に名物ではないが、飲んでみたくなったので。また何処かで見かけたら購入したい。


 たった一人居なくなっただけなのに、随分と人間関係が変わってしまったが、弟夫妻とは嫌々付き合っていたところがあったので、私としてはストレス源が一つ減ったので良かった。たぶん他の人たちもそう思っているのではないか。

 犠牲になっているのは弟夫妻の子どもたちくらいなものだろう。上から押さえつけられて、何もできず、主張することもできない。息苦しい生活を余儀なくされているが、それは家を出るまでの話。親から植え付けられた下らない思想の浸透具合によっては、能力は開花しないかもしれない。他人に倣っていては、その人物の上には行けないのです。