いつか行こうと思っていた。樟葉宮跡地。
交野天神社の中に樟葉宮跡の社(くずはのみやあとのもり)がある。この周辺はよく通っていたが、今回初めて内部へ潜入します。
交野天神社(かたのてんじんじゃ)
787年発祥の神社です。今まで訪れなかったのは、どうせ大した所ではないからだろうと思っていたからですが、予想に反して歴史が古かった。因みに近隣住民は「かたのてんじんじゃ」とは呼ばずに「かたのじんじゃ」と呼ぶことが多い。
この辺りは入り組んだ路地ばかり。その為、境内は抜け道として近隣住民に利用されています。
10月には久しぶりに祭りも行われたようです。神輿を担いで街を練り歩いたのかまで知りませんが、出店は幾つかあった。
コロナ以前は土日祝にコーヒー店が出店するなど、住民の憩いの場所になっていたとも聞きます。少しずつ町に活気が戻って来れば良いのですが。
拝殿の向こうに本殿と末社八幡神社本殿がある。
後日調べたら貴重な建物だったことが分かりました。室町時代の一間社流造(いっけんしゃながれづくり)であり、日本最古の建造物でした。しかし国宝ではなく、重要文化財指定のようです。建立時期は1402年。末社は不明ですが、同時期のようです。
境内で猫発見。人懐っこくはなく、すぐに逃げてしまった。
樟葉宮跡の社は境内の奥です。
樟葉宮(くずはのみや)
第26継体天皇が築いた宮殿。ここで5年ほど政治を行なったようです。何故、継体天皇が大和国ではなく、この地を選んだのかは定かではありません。樟葉には川の渡場があって「久須波の渡り」との名称があるように交易の要となる土地でした。また山陽道沿いにあり、軍事的にも畿内と九州を連結する重要な土地でもある。山陽道は、大和国と九州の太宰府を結ぶ幹線道です。理由を考えると、この地を選んだのは別に不可解なことではない。
まだ訪れてはいませんが、すぐ近くには鏡伝池(きょうでんいけ)と呼ばれている池がある。鷹狩りが終わった後に、池の水面に鷹の姿を映すのが慣わしだったとか。それが鏡伝池の由来とされている。
やっと探索することができました。まだ樟葉の地には見るところがチラホラあるので、暇を見つけて訪れたいと思います。