Part.1からの続き


「愛のむきだし」に出てくるゼロ教会には階級制度があり、信者は競って上の位に行く。

これはアメリカの自己啓発系スピリチュアル団体のサイエントロジーや心屋仁之助、以前のオウム真理教などが、この制度を導入していて、階級を多額のお布施をする事で手に入れる事が出来るようにしてあった。

怖いところは強制ではなく、信者が自発的にやっているところです。

サイエントロジーはトムクルーズが信者をやっていることで有名な教団です。


音楽を使っての洗脳シーン、これも心屋仁之助もきちんと取り入れている。ブログにアップしているので見ることが出来るが、信者達は自分達が洗脳されていることに気付いていなかった。大喜びをして踊っている。オウム真理教に於けるオウムシスターズのようなものです。

この人達は露骨に金に執着しているが、オウム真理教のように見えないところでやっているのではなく、オープンに行っているところが特徴的です。

今までになかったタイプの教団ではないかと思う。法律に抵触している事を行っているとしても何ら不思議ではない。

芸人の西野とも密接に結びついていて、信者達に西野の絵本を何百冊も買う事を勧めている。それがお布施の1つの形態となっている。

幹部の連中は、西野の絵本を買う為に多額のお布施をする事をブログで呼びかけているが、自分達が異常な思想を有している事を認識することは出来ていない様子。

心屋仁之助や子宮系女子の教祖に関しては、今の段階で何処まで自身を洗脳することが出来ているのか分からないが、麻原に近づいてきている印象がある。

一般人の中にも西野の絵本を推している人がいる。スピリチュアル団体と裏で繋がっている可能性もあるが、右向け右の思想で同じ方向に向かってヘラヘラ笑いながら進んでいるのは間違いない。


やはり指導、教育というのは危ういものだと思う。何処かで学ぶ時、そこの集団の思想が絶対に正しいとする状況が作られ、逆らうことは許されないという同調圧力があった場合、人は簡単に洗脳されてしまいます。そこにいる全員が似たような思想を持ち、行動までが酷似してくるのは、学校や会社などで誰もが経験しているはず。

例え歪であろうと、ルールに則ってお行儀よくしていれば、その集団では評価される。自分なりの考え方なんて持ってはならない。国がこの考え方を国民に押し付けているのは何か計算があってのものなのだろうか。


オウム真理教を見ると論理的思考能力に秀でた天才と呼べる人達も信者には多かった。だから知識があるだけでは話にならない。誰か偉い人が言っていたから、学校で習ったから、周りの人もそのように言っているから、という理由で流される人は洗脳されやすいので、自分の頭で考える事が大事になってくる。

カルトに入信する人や学校やブラック企業で、そこの思想の異常さに気づかない人は、その能力に欠けていると思う。「カルトに入信している人は誰よりも考えている」と言っている人もいるが、自身の内面で考えているだけでは、間違った方向に突っ走るのも無理のない話です。他の人の意見とすり合わせることが大事ではないか。


仕事でも最初は個性のある有能な人でも、型に嵌めたがる指導者に当たったら、その人好みの人間に育ってしまう。気持ち悪いのは思想までもが似て、同じことを発言することです。

勤め先の職場にもこの現象が起きている。今までの職場や学校でも同じだった。

学校も会社も宗教団体と変わらないのではないか。そこの思想に染まって同じ行動を取らないと評価すらされないのであれば、必死で周りに合わせるのも仕方がないのかもしれない。間違っているとか正しいとか、自分がどう思っているとか一切関係がない。こんな人間を大量生産しているとは不気味以外の何者でもない。


一部の宗教団体を見て、こいつら気持ち悪い。と言ってる人達も結局は同じことをしているということ。

主体性を持って1人の人間として生きるとしたら、自分の店や会社を持ったり、俳優や小説家、映画監督などをやるしかないのだろう。

過去に俳優や小説家に合って話しをした事があるが、信者のように従属的な考え方などしてはいなかった。

周りの人がこのように考えているから、それに合わせないといけない。などとは考えてはおらず、私は私だと自立した考えを持っていた。


今回観た「愛のむきだし」に出演していた満島ひかりからも個性の強さが伝わってきました。この映画を観て安心した理由は、社会に「人間」がしっかりと存在していることが分かったからだと思う。

逆にテレビ番組を見て、気持ちが悪いと思うのは、従属的な人達しか映っていないからです。テレビ出演者は全員が本音を隠して綺麗事しか話さない。予定調和の上で全員が似たようなことを喋っている。叩かれないように、次の仕事を貰うために。


幸福の科学に逃げた女優がいたら、芸能人達が一斉に袋叩きをする。危険思想を持っているのならまだしも、ただ宗教に傾倒しているだけの人。

この人を叩いている暇があるのなら、今流行りの自己啓発系スピリチュアルのカルト化している連中でも叩いたら良いのにと思う。

病んだことが理由で芸能界を辞めたのに、「お前は無責任な奴だ」と息巻いてる人達が多かった。この発言の裏には

「俺はこいつとは違って、まともな人間です。何でも言うことを聞く下僕です。どうか雇って下さい」とアピールする心があったり、

「周りの人が叩いているから、それにただ便乗して多数の方に付くことで精神的に優位に立って安心したい。若しくは格好つけたい」だけだったりする。

それなのに自分が何か目立つ発言をして一般人に叩かれたら「今の出る杭は打つという風潮はおかしいと思う」と言い出す。その本人が幸福の科学の信者を叩くというお粗末さ。


電通の高橋まつりさんのようにパワハラなどで病んで会社を辞める人がいても、この人達は同様に「無責任、社会人失格」と言って叩くのだろうか?

その人が亡くなったら当然、逆のことを言い出す。「パワハラをやる会社は無くすべき」と。まるで節操がない。


日本は他の国とは違って一神教ではなく多神教であって、そこらに八百万の神が存在するといった多種多様性を重んじる精神性があったはず。しかし、この精神性は消えてなくなりつつある。

この異常なまでの横並び精神は何とかならないのか。