抱く感想というのは小説も記事も映画もドラマも何もかも、その時の心情によって異なる。今回の「愛のむきだし」も観るタイミングによっては、つまらない駄作だと思ったかもしれない。


今の自分の心境は、「予定調和の上で思考停止した人達を目の当たりにして、それに自分も合わせて流されなければならない」といった、ある種の同調圧力下にあるのでストレスが溜まっている状態です。


最近は個性がある書店に足を運んでいる。ここでは本の販売だけではなく様々な講座、セミナーを行っている。ここで受講している人達は皆んな同じ考え方で右向け右状態でいるのが気になる。

心屋仁之助などの自己啓発系スピリチュアルの信者もいるので、自分にはどうも肌に合わない。

この精神状態の時に観たから「愛のむきだし」に衝撃を受けてしまったのでしょう。


この映画が停滞しつつある壁をぶち壊してくれた。そして周りの人達と考え方を合わさなくても構わない事も再認識させてくれました。



映画の内容はとにかくメチャクチャだった。

エロ、暴力、宗教、洗脳、盗撮、監禁など何でもある。

主人公(ゆう)が神父である父親と接点を持ちたい為に毎日、盗撮を繰り返す。懺悔を神父の前で告白するのが目的です。

何をしても「神のお導き」と判断され、何をしても神に許してもらえる。縋っても無駄な神を映し出します。


愛情表現もムチャクチャ

神父に惚れた女(満島ひかり(ヨウコ)の義理の母親みたいな人物)が逃げた神父を追いかけて、何度も車を衝突させて車を横転させていた。それが彼女の愛情表現らしい。どういうわけか神父はこれを受け入れてしまう。ムチャクチャたが、有りうる話。神父は神父で精神的に追い詰められていて正常ではなかった。


話はかなり入り組んでいて、ゼロ教会というカルト団体がゆう(主人公)の父親である神父、ヨウコ(満島ひかり)、ヨウコの義理の母を洗脳していく。この洗脳の手口が秀逸。

教祖はゆうの周りにいる人を常に観察、情報収集しており、邪魔な人間を一人一人排除していきます。この脚本を書いた人は洗脳をよく研究していると思う。


ゼロ教会の教祖は若い女性(奥田瑛二の娘らしい)で、この人物もやはり病んでいる。好きな人を見ながらリストカットしたり、全身血だらけで学校の廊下を刃物を持って歩いたり。この教祖だけではないが全員演技が上手い。


ヨウコ役の満島ひかりを教祖が自分の所有物にする為に策略を練って実行していくところも見応えがある。

教祖は最終的に神父や義理の母からの信頼を勝ち取って教団へ連れて行く事に成功します。

セリフの1つ1つに胡散臭さがなくて、親に罪悪感を持たせて自己評価を著しく下げさせては、教団に依存させる。そのやり口が上手い。やはり洗脳の手口を徹底的に調べていないと作れない作品。

セミナーや講座を受講して枠に嵌って自己啓発的な能天気な記事しか書けない人達が、この映画を観ても全く理解する事は出来ないと思う。

芸人の又吉が書いた火花のような内容すら理解出来ないはず。人間の本質とか奥に潜むドロドロしたものや悪意など、あのような生き方をしている人達には絶対に分からない。


満島ひかりはゼロ教会に取り込まれた時はまだ幾らか正常心を保てていたけど、日が経つにつれて洗脳されていきます。教団で問題が起こって、マスコミが駆けつけた時には

「ここは貴方がたが考えているような施設ではありません」と声を荒げて排除しようとする。


満島ひかりも演技が上手い。恐らくこの映画の撮影では、かなり精神的に追い込まれたのではないかと思う。自分を追い込まないと、あのような演技は出来ないことは素人でも想像する事が出来ます。


家族や満島ひかりが洗脳されていても、まだ主人公のゆうはゼロ教会に取り込まれておらず、満島ひかりの洗脳を解こうとする。

ゆうは救いを求めにキリスト教の神父たちの元へ行くが、この人達は脱洗脳など出来ないし、相手がカルトということもあって断る。

この時に神父達は本性を現して、相談者達の職業など関係のない事で馬鹿にして暴言を吐きまくる。神父を名乗っていても人間というものはこんなものだと分かるシーンです。


ゆうは、どうにかして満島ひかりを拉致してバスに何日も監禁して洗脳を解こうとするが、ゼロ教会に見付かってしまい暴行を受けます。

洗脳を解くときは長時間向き合って行う手法もある。満島ひかりはこの時に少しだけ洗脳が解けていた。


教祖がヨウコに命令して、ゆうに対して刃物で傷を負わせようとするシーンは、ヨウコに罪を負わせることで仲間意識を高めていた。この時にゆうは、ゼロ教会の信者になる事を承服したので、ゆうは無傷で済んでいる。

 仮にヨウコが実行に移していたら、教会から抜け出すことができなくなったはず。


ゆうは教団内部に入ることに成功して爆弾で建物を爆破する。ゆうは次第に発狂して壊れていきます。この壊れていく過程の描写も秀逸です。

この時に教祖は自ら日本刀で腹部を貫いて亡くなるが、この亡くなるシーンも狂気的で名シーンだと思う。

追い詰められたから自殺したという単純なものではなく、気分が高揚して自傷する気持ち良さに恍惚の笑みを浮かべながら死んでいる。


ゆうは結局施設へ行って療養することになります。

満島ひかりが会いに行くが、ゆうは「初めまして」と言って過去のことを覚えていない。自分が作り出した別人格になっていて、自分が男であることすらも忘れている。


満島ひかりは、ゆうの別人格であるサソリと名乗る女でもなく、兄でもなく、ゆう自身が好きだと愛情を剥き出しにして気持ちをぶつけ、ゆうは正常に戻る。

警察に捕まり連行される満島ひかりを追いかけて、ゆうと満島ひかりが手を繋ぐシーンで映画は終了。

久々に観てスッキリする映画だった。


この映画を観ても、思考停止させて、ひたすらに流されている職場の同僚達には絶対に分からないと思う。

道から外れたマイノリティである所謂「頭がおかしい人」に観てもらいたい作品です。

人間の本質を全く理解しようともせず、上っ面だけで生きている人にはきっと分からない。

そんな人はfacebookで誰も聞いてもいないのに下らない肩書きや職歴自慢をして金持ちアピールでもして、アホ丸出しの記事をアップして「イイね」を貰って勝手に喜んでおけばいいのではないかと思う。


今までは比較的人気のある映画を見ても、面白いと感じても心が揺れ動くことはなかった。計算が色々なところに散りばめられていて、そういったところに気付いては気分が悪くなっていた。しかし「愛のむきだし」を観て映画の良さを再認識してしまいました。思えば20代の頃はこのような映画を観ていたのを思い出します。


長いので2つに分けます。続く