小説や記事の書き方というのを書籍など様々な媒体で見ていると、落差が大事だと書いてあることが多い。

まずタイトルで読者の興味を惹かなければならないから、此処でひと工夫しなければならない。

雪は白いと思っていたのに黒だった。
人生は数学だ。
医療行為はユリゲラーと同じ。
子宮系女子はパワーストーンを膣に入れて発電するが、それはお尻の穴でも代用できるのか?

何でもいい。注目されるタイトルをつけろ。ということです。子宮系女子についてはこちらを参照して下さい。子宮系女子とは?

しかし個人的には、この考え方は物凄く違和感がある。まず自分が伝えたい事が先に来なければならないはずなのに、この人達は優先順位が違っていて如何に稼ぐか、アクセス数を増やすかを重要視している。
医療行為だと「患者の為に」より「まず稼ぐ事を考える、患者は二の次」と言っているのと同じ。
かと言って、稼げなければ意味がない。何だかこれは記事にも書いた「橋下元大阪府知事VS苫米地」の討論みたいに思える。
よく言われる「卵が先か鶏が先か」と同じ。どちらも大事なのは確かだが、優先順位を間違えてはいけない。

これは小説やブログやニュース、雑誌の記事、youtubeなどの動画、お笑いなど全てに言えることです。
しかし、また此処で違和感が生じる。
よくヤフーニュースなどで様々な記事を目にするが、この落差を利用して書いている記事があまりにも多く、タイトルを見た瞬間にウンザリさせられるのです。計算を働かせているのが分かるので嫌悪感を抱いてしまう。これは自分だけなのだろうか? 他の人は何も思わずに楽しんで読んでいるのだろうか?
私の感覚は他の人と少しズレているのかもしれない。他の人が面白いと思っているものを見ても、何が面白いのかさっぱり分からない事がある。逆に心理描写が秀逸でとんでもなく優れている。と思えるものが、他の人たちはそれに気付いていないのか評価を低くしている事がある。

一体何故このような事が起きているのか?

アクセス数が7万ほどの記事を読んでも、これの一体何が良いのかと不思議に思っている自分がいる。
アクセス数が多いものに共通するのは、低レベルな内容であることが多いが、誰もが簡単に読む事が出来る記事と言い換えることができる。女子大生のしょーもない呟きが異常なアクセス数を獲得するのは、これが理由。
記事が優秀とかそんなものは全く関係がない。

だから音楽に於ける歌詞も小説もテレビドラマも映画もドンドン低レベル化していっているのだと思う。
奥が深いものを表現しても誰も理解できない。誰もが分かるように単純化しなければならないのです。
スマホの普及で若い世代は簡略化された簡単な記事しか読まなくなった。長文を書いても誰も読まないし、少しでも複雑に書いてあれば、そこで思考が停止して読むのを止めてしまう。
本当にこんな事で良いのだろうか? 世の中に優れた小説が幾つもあるのに売れもしない。読みやすい底の浅い小説が売れているのが現実としてある。
内容よりも注目される為のテクニックが必要。売るためのテクニックが必要とされる現実は、かなり最悪な状況なのではないかと思う。