あまり地上波に出ているのを見たことがない苫米地という脳科学者らしき人がいる。「らしき人」というのは経歴や学歴が非常に怪しいからです。

「ルータイスと共同で開発した」

などと、よく世界的に名が知られた著名人を出してきては遠回しに自慢をしている。本人はとっくに亡くなっているので、本当に共同で開発したのか確認することが出来ない。苫米地はこのような自慢をする事が本当に上手い。

他にも「モスクワ会議に日本人で唯一呼ばれて出席した」と、これも本当かどうか疑わしいことをSNSで写真付きで自慢をしている。これも確認が取れない。苫米地はこのような実体が怪しい活動が山ほどある。

自己のイメージアップの為にあらゆる手段を講じて、しかもその嘘が発覚しないように抜かりなく手を打ってある人なのかもしれない。

しかし著書やテレビ、youtubeなどでこの人の思想に触れていると、話の誇張や真偽が不明な内容は時折あるにせよ、頭は良さそうだと思えるのも事実。

自己啓発系、政治経済など様々な分野の書籍を数多く出しており、月に1冊のペースで次々と出版している。

自己啓発のセミナーで一人当たり数十万徴収しているのは見ていて痛い。セミナーの受講生が盲目的かつ従属で苫米地の主張する事を盲信している信者なのが気味が悪いと思う。カルト批判しているが、この人がやっている事は大して変わらない。


その苫米地が元大阪府知事の橋下の番組に出演したと聞いてyoutubeで見てみた。

討論のタイトルは「橋下よ。洗脳するな」と付けられていた。内容は日米安保にまで及ぶ。


結論から言うと橋下は全然ダメだった。苫米地の主張にまともに反論出来ないものだから、いつもの馬鹿のひとつ覚えの偉そうな高圧的な態度で

「あなたは法律がわかっていないから」

「責任感のない人間だから言えるんであって」

などと馬鹿にすることしかできなかった。相手の主張に対しては真っ向勝負できないので、主張の言葉尻を捉えて中傷しているだけだった。討論は完全に苫米地の勝ちと言える。


橋下の番組だから仕方がないのだろうが、不快なのは意図的に橋下が有利に討論を進めて相手を論破したように編集しているところと、羽鳥というお抱えアナウンサーが橋下に有利に働くように露骨な印象操作をしていたところ。この2点が気になった。


苫米地が不利になり徐々に興奮して上手く話すことができなくなったように見せるために、声が大きくなった部分だけを意図的に編集して流していた。テレビ局の作為を見抜けない人は、「やはり橋下が正しい」「橋下の言うことは間違いがない」「この人の言うことに黙って従っていればいい」と判断してしまう。

苫米地がいう、まさにテレビは洗脳マシーンであることを証明していた。


いつもそうだが橋下は自分が不利になると話題をトコトン逸らし始める。相手の話の一部分だけ取り上げては無理矢理に批判に転じて、

「お前は頭が悪いから矛盾したことしか言えない。出直してこい」

と相手を馬鹿にして自分の方が圧倒的に正しい。お前が馬鹿だからまともな主張が出来ないのだと視聴者に印象付けようとする。この手法を橋下は毎回使っている。

相手が感情的にでもなれば儲けもので、相手を更に馬鹿にして論破したと勝ち誇る。

この卑怯かつ巧妙な手口を戦略として使うのが橋下という人物。内容が伴っているのならまだしも残念ながら中身はスカスカ。政策に関しても今までも碌に改善など出来てはいない。相手を罵倒する事は有権者に対しても行なっているので、有権者から同意を得られるはずもなく、選挙になったら当然ながら完敗する。その場凌ぎの討論では何とかなっても長期的な戦略に欠けるので結果が伴わないのです。


海外への自衛隊の派遣の議論では、苫米地は「自衛隊が現地に派遣されても何も出来ない。死ににいくようなもの。自衛隊が現地に行って日本人を救出する事が出来るように武器弾薬を確保して、また訓練をして能力を上げるべき」

と主張しているのに対して、橋下は

「そんな事よりも法の整備が大事。法を整備して自衛隊を派遣する事が出来るようにした」

と話していた。橋下は自衛隊などの現地の言葉を聞かずに自分が決める事が絶対に正しいのだと主張し、机上だけで書類上で何でも決めてしまっては、下の者は上の者が決めたことに黙って従うべきだと考えている人間。苫米地の方は現場で起きている事実から情報収集して判断している人間。話が全く噛み合わない。


橋下の良くない点は「これが世間の常識だから」「これが国民が望んでいることだから」などと嘘をつき、「だから出来ないのは仕方がない」と責任転嫁するところ。自分に非があったと絶対に言わない。

小さな常識という枠を設定して、その枠の中でチマチマと蠢いているのが橋下なのです。だから何も成し遂げる事が出来ない。

逆に苫米地は「常識だろうと、そのやり方では結果が出せない事が分かっているのだから積極的に変えて行くべき」

と枠の外に目標を設定をして、そこに向かって邁進して行く人間。

この両者は考え方がまるで逆なのです。個人的には苫米地の考え方。


間違っているのは明らかなのに「これが常識だから」「仕方がないから」と言い訳を繰り返しては、一歩も前に進もうとしない。結果が伴わないのに愚直に繰り返して一体どうするつもりなのかと言いたくなる。


橋下は話の流れが不利になると相手がまだ喋っているのにも関わらず急に割って入る。テレビ慣れした落ち着いた口調で「民主主義が~」「法治国家は~」「政治の現場では~」と国民に聞こえのよい言葉を連発します。しかし、よく聞いてみると中身がない。相手の主張を邪魔して自分が不利にならないようにしているだけ。

苫米地としては途中で割って入られるから声を大きくしなければならなくなるが、この部分だけをテレビ局が意図的に編集して流してしまう。前後の重要な部分の方を流さなければならないのに、その部分だけを切り取って放送する。

これでは視聴者の大半は橋下が有利に議論が終わったようにしか見えないだろう。その為の番組なのかもしれないが。

苫米地の主張が荒唐無稽に思えるように視聴者を欺いて、橋下の評価を上げていく。テレビ局は橋下を教祖にでも仕立て上げようとしているのか。


討論が終了した後、お抱えアナウンサーの羽鳥が

「久しぶりに橋下さんをでかい声で論破してやろうと気負ったタイプを見ましたねw」

と話して愚かな奴が討論に挑んだが橋下には到底及ばなかったと、橋下が有利に終わったと印象操作をしていた。

金さえ貰えたら何でもする厚顔無恥なアナウンサー。これが人気になる秘訣か。


自分の頭で考えることが出来ない人間は橋下のような人間に簡単に騙されます。

あの番組はデタラメな編集がなされているので、視聴者が苫米地に抱く印象は最悪なものになったでしょう。

苫米地を感情的にさせることに成功した時、「呆れた、こいつ何言ってんだ?笑」というリアクションを取って、羽鳥アナウンサーと一緒に馬鹿にした態度を取っていた。最後は苫米地が失言したように編集して終わり。ここまで悪質な番組があるだろうか。


これらの手口はストローマン論法と呼ばれています。


ストローマン論法

「相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める。または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたる誤謬であり、無意識で行なっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的に行なっていればそれは詭弁である。 」


橋下の場合は勿論、詭弁にあたる。



橋下は在特会の桜井とも討論をしたことがあったが、こちらの方が遥かに酷かった。

桜井は苫米地同様にかなり弁が立ち、また事前に下調べもきちんとしているので橋下はまともに討論していては到底勝ち目はない。そこで橋下はいつものストローマン論法という詐欺的な手口を繰り返した。

言い負かされそうになると相手の話の全体ではなく、ある一部分のみを取り上げて意味不明な反論をし始める。そして「お前は馬鹿だ」「法律を知らない」「常識がなっていない」などと話とは全く関係のない誹謗中傷、人格否定をし始める。相手を徹底的に見下して馬鹿にすることで精神的に優位に立とうとするのです。

苫米地に対しても

「あなたは何も分かってらっしゃらない」

「法律というものを分かってらっしゃらないようで~」

「責任を取らない立場で居られるからそんな事が言えるんで~」


と言っていた。桜井の時は取っ組み合いの喧嘩になりそうになったほど、馬鹿だの何だのと汚い言葉で罵っていた。苫米地との討論も言葉は柔らかくても見下して馬鹿にしていたのには変わりがない。これが橋下という人物なのです。


終始この状態。反論があるなら、それを理路整然と述べて相手を打ち負かせばいいのに、一々相手を馬鹿にしては相手を感情的にさせて勝ち誇る。


橋下は、過去に実際にどのようにしたら相手を言い負かす事が出来るかの方法論を述べた事がある。ストローマン論法を戦略として使っているのは間違いがない。

要領の良さと口だけでのし上がってきた人物なのでしょう。


政治家は、何も知らず何も考えることが出来ない大多数の国民を如何に洗脳して騙すかを考えている。

仮に政治家の中に、優れた考え方をしている人がいたとしても、橋下のような人間に操られた人たちに誹謗中傷を受けて失脚するでしょう。


国民を上手く洗脳して味方につけなければ改革なんて出来ないのかもしれない。そう考えると他人を支配して操る事を躊躇してはいけないということになる。大衆を味方につける事が出来なければ、どれだけ志が高く立派な政策をやろうとしていても、そのうち行き詰まって終わってしまう。

しかし正しい方向に導く為なら、他人を操作する事は許されるのかという問題が浮上する。

この「正しい」という正義も非常に曖昧で、見る角度を変えたら見え方が途端に変わってしまう。正義なんてのはコロコロ変わるものなのです。

これは非常に厄介な問題だと思います。何が正しいのか分からなくなる。哲学者で考えすぎて頭が狂った人達がいたが、答えの出ない問題で悩み堂々巡りしていたら、狂うのも当然だろうと思う。

答えの出ない問題に対して、どのような対処法を身につけなければならないかは今後の課題か。