珍しく滋賀の寺へ行くことにしました。秘仏を見るのが今回の目的です。


まず甲西という地に向かいます。滋賀は交通の便が良くないので車での移動が基本ですが、歩かないと道中にある様々な発見を逃してしまうので、歩いて行く事にしました。
地図で確認すると何とか歩ける距離。この時は30-40分だと見積もっていました。




甲西駅の周囲は田んぼで長閑な雰囲気。学校が駅に隣接していて学生の姿を見かける以外に人の気配がない。草津という比較的栄えた町から3駅で、この静けさ。
歩いてみると善水寺までは、かなりの距離がある事に気付いたが探検気分でもあるので後悔はない。

途中で見つけた神社。高倉神社だったか。ひっそりと佇む神社の境内は静寂に包まれていて空気が澄んでいる。






住宅街で特に何もない所をひたすら歩くこと40分。漸く善水寺行きの案内板を発見。善水寺東堂登山口入口と書いてある。善水寺まであと少し。



久々に山道を歩いた。期待感が徐々に膨らんで行く。


開けた所に着くと目の前に何やら建造物が。僧坊跡地らしい。善水寺には、かつて26もの僧坊があり、そこで善水寺で修行をしていた僧侶達が生活していたとのこと。
この小道の所々に僧坊があったようです。




善水寺に辿り着きました。



善水寺
「奈良時代の創建。最澄が天台寺院に改めたとの言い伝えがあるが中世以前の沿革はあまり明らかでない。伝承では、奈良時代中期に国家鎮護の道場として建立され、和銅寺と称したという。 その後、平安時代初期に最澄が入山し、延暦寺の別院諸堂を建立。桓武天皇が病気になり、最澄が法力により霊水を献上したところ、たちどころに回復したことから現在の寺名に改名」

中世以降の沿革が明らかではないのは、古文書の大半を焼失している為です。
現在現存する古文書類は江戸から明治期に書かれた古記数冊のみ。明治12年に旧岩根村村役場に古記録当を集め置いた際、翌13年に役場が全焼しています。善水寺だけではなく、村内の寺社の諸記録などを悉く焼失してしまったとのことです。

善水寺の境内に足を踏み入れてみます。本堂は天台仏殿代表で、織田信長の兵火の際も唯一焼失を免れており、国宝に指定されています。
この国宝の本堂の内部に入ってみました。



本尊の木造薬師如来坐像

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秘仏は6/14迄の公開だったようで拝観する事は出来ませんでしたが、特に残念な気持ちになる事は有りませんでした。仏像に対する慣れが出て来ているのでしょう。

他には梵天、帝釈天、四天王立像、十二神将像などが安置されています。

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いずれも写真はネットから。当然、堂内は撮影禁止です。

百伝の池(ももつてのいけ)の周囲を歩いてみました。別名を賀茂池、また岩根の池とも言います。この池水が善水の元水となっています。




善水寺の由来
「京の都で桓武天皇御悩の際、大師霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。」

この縁に依って善水寺の寺号を賜わったと伝えられています。



善水寺由来となる水は軟水でまろやかな舌触り。ペットボトルに入れて帰ることにしました。

何の花か分かりませんが綺麗だったので思わずパチリ


善水寺の境内を出てからは、来る途中に地図で見かけた不動磨崖仏が近くにあるので立ち寄ってみました。鶯や聴いたこともない綺麗な音色で鳴く鳥の声を聴きながら曲がりくねった山道を歩くこと10分。


不動寺



この時、既に時計の針が17:00を指していたので、拝観する事が出来るのか不安でしたが、どうやら不動寺は無住の寺のようで自由に参拝が可能なようでした。

高い位置にある不動磨崖仏を拝礼する為の拝殿



岩は今も転げ落ちそうに見えますが、この位置で長い年月を費やしています。拡大してみます。


不動寺の岩根山不動磨崖仏
「花崗岩の巨岩に高さ約1.6mの不動磨崖仏を半肉彫りする。顔は磨滅しているが、南北朝時代の不動磨崖仏の秀作」 

不動磨崖仏は岩を掘って作成された仏で、このような石彫りの仏は初めて観たかもしれません。大分など地方によく存在します。

予想もしない素晴らしい仏を観る事が出来ました。しかし此処から、また片道1時間も掛けて帰らねばなりません。


今度は来た道とは違う道を歩き、朝から何も食べていない事もあって疲労はピークを迎えました。しかし良いタイミングで店を見つける事が出来たので小休憩。甲西という地は駅周辺は長閑で何もない。

京都に着いて初めて行った小川珈琲店でまた休憩。駅の目の前にあるのに人の流れは京都タワーの方へ向かうので、流れを外れた場所にある為に人通りは少なく客も少ない。此処もお気に入りの店になりそう。ただホテルが同じ建物内にあって中国人、韓国人の団体客のマナーの悪さには辟易させられるので、奴らがいたら諦めるしかない。とはいえ団体客は日本人の団塊の世代もマナーがかなり悪いので、他の国の人を頭ごなしに言う事は出来ないかもしれない。若い世代は偏差値の低い学校の修学旅行生を除けば大人しい。つくづく団塊の世代というのは残念な世代だと思う。高度成長期の頃の日本人は今の中国人と然程変わらない。
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この日は静かで落ち着く事が出来た。いつ来ても静かだったらいいのだけど。