永遠のお別れ | 乳がんとアタシ

乳がんとアタシ

2012年8月に「乳がん」の告知を受けました。
のほほんと暮らしていたスピリチュアル大好きなキャサが乳がんになって感じた日々のアレコレ。

いきなりですが…2月19日 午前1時55分 義母が亡くなりました

今日でちょうど一ヶ月です。


義母は肝臓癌を患っていまして、アタシの乳癌が告知された昨年の夏

には肝硬変による腹水やアンモニア脳症の症状が出ていました。

秋には「温熱療法」など代替療法をしましたが病状は好転することなく

むしろ悪化の一途をたどって11月にはトイレ以外ベットから動かなくなって

いました。


肝硬変による貧血などで抗癌剤が適用になる病状ではなく、積極的な

治療ができなかったのでアンモニアが上昇しておかしな言動をとると対症

療法で点滴をするために通院するだけでした。


12月になってからは歩くこともままならなくなって介護認定をとり、訪問診

訪問看護のお世話になりながら自宅介護をしていました。


そして亡くなるまでの3ヶ月間、怒濤の介護生活の日々を過ごしたんです。


11月と言えばアタシが抗癌剤を始めた頃で、副作用に苦しみながらも自

通院と義母の通院、日常生活のお世話など息をつく暇もない忙しさで

アンモニア脳症でおかしな言動をとったり、失禁してしまう義母のお世話は

本当に大変なものでした。


積極的な治療をしないため入院はできず、病気があるので施設も無理

なにより本人が自宅にいたいと希望したので自宅介護となったのですが

吐き気で動けない体を引きずって泣きながら義母が失禁した後を片付け

たことも数えきれなくて正直、こんな生活がいつまで続くのか…と、義母の

死を望んだこともありました。

旦那さんの協力もあり何とかお世話できていましたけど、昼も夜も認知症

ような言動をするので眠れず、二人とも肉体的にも精神的にも壊れてい

ました。


余談ですが…

病気をカミングアウトしていなかったのでお通夜の夜に葬儀式場で一泊

するのって大変でしたあせる

ズラっていうだけでドキドキなのに寝ている間にズラが取れたらと思うと

寝てられなかったですよ汗

ブログを書くためにPCに向かう気力も体力もなく更新出来ない日々でした。

でも、治療は確実に進んでいき葬儀のため抗癌剤の日程をずらしたりして

やっと残り1回までになりました。


葬儀が終わってからも何かと忙しく、特に義母の荷物整理は大変で、まだ

終わっていないんです。(ノ◇≦。)

75歳で亡くなったんですが、いわゆる「捨てられない人」で…

まぁ、この年代の方はだいたいそうなんでしょうけど恐ろしいほど使わない

モノが出てきます。

ひも、袋、包装紙、箱、缶、ビンなどなど‥いつか使えるかもシリーズが

(x_x;)


アタシも考えたくないけど、将来どうなるかわからないけど余計なものは

整理してシンプルに暮らそうと思いました。

残された人に少しでも迷惑かけないようにね。


現在、介護をされている方や長男の嫁だからと将来的に介護をする可能

がある方はどうか「楽しい介護」をして下さい。

抱え込まず使える制度や人手をフルに使ってズルいくらいの手抜きをしつ

自分が潰れないように。


そして…1月の中頃、初めての抗癌剤のために入院したとき、隣のベット

にいたおばちゃんが入院していると耳にしたアタシはお見舞いに行きました。

脳転移がみつかりガンマナイフで治療するための入院でした。

転移にショックを隠せないおばちゃんとお互いに頑張ろうと言って別れた

2週間後のお見舞いでは面会謝絶になっていて義母の葬儀が終わって

行った時には亡くなっていました。


さらに今日、手術をした札幌の病院で隣のベットにいた方からも脳転移で

入院しているとメールがきました。

炎症性乳癌でトリプルネガティブなので再発の可能性が高いと聞いていま

したが転移なんて…まだ若いお母さんで3歳の娘さんがいる彼女は「自分

の状況が受け入れられない」と…。


何て言葉をかけたら良いのか…

彼女の気持ちを思うと胸が締め付けられます。


考えたくないけど死というものを考えずにはいられない病気なんだと再認

せざるを得ないことが続いています。


久しぶりの更新なのに重い話題でごめんなさい。

癌が完治する治療法が早くみつかりますように…