世の中には、未知なことがたくさんある。
もしかしたら、こんなに科学が進歩しても、人間は人間のことを一番知らないんじゃないだろうか。

英米のような判例法の世界も、ドイツや日本のような制定法の世界も、もし人間が合理的な存在ですべてのことが数学的に結論が出るのであれば、答えは同じところに行き着くのかもしれない。

しかし、人間は理屈だけでは動かず、決めたルールも例外を作らなければ説明できなくなる。

このため、単一民族や考え方が似たような人ばかりであれば、例外だけ規定しておけば、「もめた時は裁判で。」ということにできる。

しかし、世界が近くなり、宗教も考え方も違う人が同じ場所で生活するのであれば、当たり前のルールを分かりやすく決めておかなければならない。
それが今回の民法改正なんだろう。

学生の頃、民法は漢字とカタカナで、法律以外に判例があって、日本人でも異国の文章を扱っているようだったが、今回の民法改正は分かりやすく当たり前のことも規定することによって、例外を際立たせている。

英米法のように、判例の積み重ねで制定法ができていくのも、制定法を作って、更に判例を積み重ねていくのも、鶏が先か卵が先かの話で、目指しているところは一緒なのだろうか?