継体天皇の7年(513年)には、日本の要請によって、百済は儒教の経典である五経を教える学者を送ってきた✨
国家らしい国家の規模がこの時代にようやく整い始めたことと、中国の儒教およびその他の学問の摂取が始まったこととは、互いに関連があるものと思われる。
中国に仏教が伝わったのは、後漢の明帝の西暦67年だったと言われる。
また、仏教が朝鮮の強国高句麗に受け入れられたのは372年頃、新羅で仏教が国家の保護を受けるようになったのは527年間頃だそうだ。
一方、日本の宮廷仏教の母体となった百済仏教の起源ははっきりしていない。百済で国家がこれを保護するようになったのは、ずっと後の聖明王(523~554年)の頃ではなかろうか。
日本書紀によると、623年に当時の仏教界で重きをなした百済僧の観勒が「百済に仏教が伝わって百年」と言っているからである。
百済の聖明王は、なかなか活気のある国王で、538年に扶余に都を移すと3年後には梁に使いを派して、仏教の発達に資するとともに、新都の造営に意を用いた。
以上のような朝鮮と仏教との関係をみて、三国に共通しているのは、仏教そのものはかなり早い時期に伝来していながら、それだけでは興隆せず、むしろ迫害を受けるが、国王が積極的に古代国家を樹立しようと努力する時期になると、仏教が保護され興隆するという事実である✨
日本の歴史より

