「勉強したくない」は、勉強開始の合図
論語には、「人の段階」についての考え方があります。孔子の言葉をまとめた論語の中では、次のように捉えられています。① もっとも高い人 自ら学び、探究し、極めていく人② 次に高い人 学んだことを人に伝え、教える人③ 低いとされる人 学ぼうとしない人、何もしない人私は、私たち教える立場の人間は②であり、塾に通ってくれている生徒さんたちは①だと考えています。私から見ると、98点の生徒さんも、48点の生徒さんも、どちらも同じ①の人です。点数は違っても、努力しているという点では、何も変わりません。私にできることは、②の役割として、生徒さんが理解しやすい言葉を選び、やる気が生まれる空間をつくり、結果につながりやすい方法を提案することだけです。ただし、それは「成績を上げること」だけが目的ではありません。勉強を、その子が自分の人生を楽しく生きていくための一つの手段として、前向きに向き合ってほしいと願っています。大学に行くか行かないかは、その子次第。自分が求める人生を、楽しく生きてほしいと思っています。ただ一つだけ伝えているのは、「大学生活は、小・中・高校とはまた違った楽しさがあるよ」ということです。そして、生徒さんが③の状態にあるように見えたとしても、それはいつでも①へシフトチェンジできると、私は思っています。私は、伸びない生徒さんはいないと思っています。なぜなら、「学ぼう」と思って塾へ一歩踏み出すこと自体が、すでに大きな勇気を必要とする行動だからです。「あ〜、またテストだ。勉強したくない。」この言葉が出たとき、実はもう、その子は勉強に向かい始めています。「しないといけない」と感じているからこそ、「したくない」という言葉が出るのです。その言葉が出たら、どうか、優しく見守ってあげてください。それは、勉強が始まる合図なのだと、私は思っています。