しばらくブログをお休みして失礼しました。
昨日、ぼんやりとNHKを見ていたら、司馬遼太郎氏の考察から「日本人」を辿る番組で、つい引き込まれて観ていた。
「名こそ惜しけれ」
私の捉えた解釈は、「卑怯な振る舞いを恥じる美学」だ。
私自身も、「名こそ惜しけれ」の血が確かに流れていることを強く自覚している。
「卑怯な振る舞い」
それは、能動的な卑怯な行為のみならず、
「見て見ぬふり」をして、長いものに巻かれるという己の無い消極的行為もそれにあたると私は思っている。
残念ながら、今の日本の社会では「名こそ惜しけれ」の美学は廃れつつあるように感じる。
利己的で自分本位。
拝金主義がまかり通り、結果さえだせれば「卑怯な行為」も是認される社会。
その延長線上に、太平洋戦争に邁進していった“統帥権の濫用”と、憲法改正は必要とせず、「憲法解釈」で内閣が“統帥権”を発動し得るように向かっているのがダブって見えるのは私だけだろうか?