第二次大戦のさなか、
私は激戦地を転々として、幾多の工作活動を行ってきました。

なぜ僧侶になったか?と言えば、
日本とは異なり、世界の多くの国は、
その宗教が、国家・国民の規範になっている場合が多いんです。

他の国々からすると、戦前も戦後も、日本はとても不思議で、
イイカゲンな国なんですよ。

で、いろいろな国に潜入するのに、もっとも手軽な手段は、
その国の規範を支えている宗教的教団で修行することなんです。

そうするコトによって、民族とか国家のなりたちが深いレベルで
掴めるんですね。


各種修行を体験してきたコトで、最終的に言えるコトは、
あたりまえかも知れないんですが、人はみな生きていたい、
生き続けたいという願いを持っている、という事実なんです。

今日、あたりまえのように人は自由を主張しますが、
たぶん、あなたが考えているほど自由な存在ではありえません。


戦争は、多くの戦死者をもたらすと同時に、
それを上回る殺人者を生み出します。


今年は、日本人なら誰しもが、”東日本大震災”を想起されるかも知れませんが、

私は、コトここに至って、人災と天災の別を考慮する余裕がありません。


せっかくのお正月をまえに、聴きたくもない説教ぶしですが、
日本人の自律・自由について考えていただきたいので、
あえて年の瀬の感慨を述べさせていただきました。