かくして、足かけ10年、

有象無象にボコボッコンにされたらいふすたいる君。  


いまでこそ、わたしが名づけ親になって、
らいふすたいる君と呼んでいるのですが、

当初は、ボッコボッコのボッコちゃん。


この世の地獄を見るには当然、かつ十分な仕打ちを
彼は受けたわけですが、その間、彼はわたしの意図とは
まったく異なる人生訓を身につけたようなのです。

わたしは宗教的見地から、彼に鉄槌を下したつもりだったのですが、
彼は、この世に対する楔の打ち方を見つけたようなのです。


それが【楽市楽座】というライフスタイルなんですね。


この構想を彼から聴いたとき、「したり」と思わず
手を打ってしまいました。

人々がそのライフスタイルを形成するのに難儀している現代、
【楽市楽座】というビジネスのカタチは、そのまま、現代人の生き方を
示してくれているよう思われたのです。


そこで、すでに本名では行動できなくなってしまった彼に、
すかさず、わたしは【らいふすたいる】君と命名したのです。


あらゆる個性(人種、性別、国、文化、・・・)に適用できる規範のような
気がしてなりません。

いままで、宗教的教義に忠実すぎたわたしの姿勢にも変更を迫るモノでした。


「縁は異なモノ」

恋愛に限りません。

哲学的・宗教的交わりのなかでも、
真実の愛は育まれてゆくモノなのです。


【楽市楽座】は、わたしにとって、そして彼にとってはなおさらのコト、
お釈迦さまが断食修行のはてに得た「甘露」のようなモノだったのです。