透明な嘘と臆病な優しさ。 | CeLL=WiRED

透明な嘘と臆病な優しさ。

 理想形となる何者かが自分の中に住んでいて、それに沿ったラインを描けるように行動を修正しながら生きていると感じるとき、目の前に見える道の名前は『努力』であるのか、それとも『嘘』であるのか、よくわからなくなる。

 無意識の範疇で自動的に行われる計算群をマキャベリ的な思想で処理するのであれば最善の結果を出すためのツールとしての生き様だと形容することができるのかもしれないし、聖人君子を目指すことをたったひとつの冴えたやり方として置くのであれば蛇蠍の如く忌み嫌われる生き汚さと形容されてしまうのかもしれない。

 しかしそれも、十全な意思と結果を受け入れる覚悟を持った上での行動様式なのであれば、さもありなんという感じだ。問題は、然したる意思も無く、何一つの覚悟も無く、世間の要請を唯々諾々と飲み下す形として理解される行動原理を体現してしまう場合。
 俗に「臆病」と形容される概念。

 相手が自分に何を求めているのかがありありとわかってしまうようなケースにおいて、何の自我の色も塗ることなくただ求められた形でそれを差し出せば「優しさ」として簡単に理解されるだろうということまで予測できるとき、笑顔の裏側に見え隠れする自分自身の寂しさや哀しさを無視してそれを渡してしまうことは、ある意味での裏切りに該当するのかもしれない。

 多種多様な計算群と自分で生み出した理想形が作る方程式のエックスとワイが、無色で無味乾燥な嘘と優しさで解かれるとき、イコールの先には虚しさしか残らないことも往々にしてあるのだろうと思う。

 マズローときつねとぶどう。
 心の中のビッグブラザー。
 適応機制としての親愛。
 報酬系に組み込まれた愛情。

 ヒューリスティックにまみれた私の世界。