蛹。 | CeLL=WiRED

蛹。

 「そのままの君でいいんだよ」

 優しい肯定の言葉のはずなのに、そこに安住してしまえば歩みが止まる気がして、言われるたびに逆に焦燥を覚える。

 多分、僕が今の僕自身を肯定できていないから、そうなる。

 ボタンをかけ違えたまま外出してしまったような、何かがどこかでズレているような感覚は、比較的時間の空いた今日のような日に、夕立のように訪れては心の中をかき乱す。

 特にここ最近は日々の仕事に忙殺されていたから、むしろ平和だった。
 目の前の仕事に心を奪われていれば、もっと大きな問題から目を逸らしていられるから。

 もっと大きな問題。
 それは最近、ワクワクしていないこと。
 心を動かされていないこと。

 「感動しない人生を送るのは、生きていないことと同じである」
 とは、アインシュタインの言葉だけれど。

 ワクワクする、感動するという体験は、果たして外から降ってくるものなのか、それとも意識の問題なのか。後者の方が一見正しそうだけれど、意識の問題で解決していたら、自分の置かれた環境はいつまで経っても変わらない。

 最近思うのは、「何でも心の持ちようだと考えるのは、単に自分を騙しているだけなのではないか?」ということだ。

 中村天風(「人生は心一つの置きどころ」という言葉を残したヨガ修行者、思想家)を批判しているわけではない。
 その意味を履き違えて、僕が解釈してしまっている可能性があるということ。

 心の置きどころというものは、現状に自分は満足しているのだという自己弁護に使うのではなく、自分はもっと良い場所へ行けるのだと信じるために使われるべきではないのか。

 だとすれば、僕は「そのまま」でいいのかもしれない。
 「そのまま」というのは、何を指すのか。

 つまり、「変わらなければと焦っている自分」でいいのではないか。
 その焦りさえも失われてしまえば、僕はそこそこの生活が手に入る代わりに、無感動な人生を暗黙のまま受け入れることになるだろう。

 しかし方向性さえ間違っていなければ、いつかは辿り着けるはずだ。
 焦っている自分に焦る、という奇妙な循環に陥らなければいいだけのこと。

 もっと自分の内側の声やインスピレーションに耳を傾けてみよう。
 無難に日々をこなすのではなく。