三笠ターミナルから乗る船が到着したので
早速乗り込みます。
所要時間は約10分。
船が小さいせいもありよく揺れます(笑)
さて、
幕末から第二次世界大戦までは
東京湾の首都防衛拠点となってた
海に浮かぶ要塞「猿島」。
猿島って名前ですが猿は1匹もいません。
猿島の由来は日蓮聖人が
船で海を渡っていた時に
嵐にあってしまい遭難しかけた時に
そこに白い大きな猿が現れ
この島に導いたとか。
なのでこの島の奥には
今は行かれませんが洞窟があり
そこで日蓮聖人が避難した場所として
「日蓮洞窟」と名付けられてます。
日蓮は鎌倉時代の人なので
その辺りの時代には
島の名前が付いてたと思われます。
初めは陸軍が管理してたのですが
関東大震災(大正12年)でダメージを受けて
陸軍が手放したのを海軍が管理する事に。
管理とは聞こえが良いですが
砲台を完成させて敵と戦うために
「猿島要塞」を海軍が作り上げました。
その島の奥には今も当時の物が残っています。
いきなりですがレンガ作りのトイレ。
弾薬庫とかあるだろうって言われそうですが
まずはトイレを見せます(゚ε゚ )
コレ2か所あるのですが
資料が残ってないので
どのように使用してたかは
いまいちハッキリ分からないんだそうです。
トイレの横を過ぎて進んで行くと
昔は真っ暗で電気すら無かったトンネルに到着。
今は「愛のトンネル」と言われてて
薄暗いからムードがあるんだ・・・とか。
ふーん(゚ε゚ )
行ったら見て欲しいレンガの色。
なんてオシャレなんだろうか。
横浜の赤レンガよりも美しい。
この写真は「フランス積み」
長いレンガ、短いレンガを横に交互に並べて
その上に短いレンガ、長いレンガ・・・と
積んで行くんだそうです。
天井の方は長いレンガを横に並べたら
次の段は短いレンガを並べて行くパターンの
「イギリス積み」
このトンネルは何を思い、何を考え
みな駆け抜けたのか。
トンネルを抜けて頂上へ到着。
するとこのような建造物の跡が出て来ました。
高射砲跡と塹壕(ざんごう)です。
上空に向けて打ちはなったけれど
敵国の軍用機には弾は届かず・・・。
そして第二次世界大戦(太平洋戦争)は
昭和20年に終戦。
アメリカ合衆国に接収され全ての砲台を撤去。
砲台跡だけが今も残っています。
他にも3ヶ所に砲台跡がありました。
ビスの跡も残ってるんですよ。
子供の頃に来ても
分からない事だらけなので
大人になった今、来ておいて
良かったなって思います。
行き道の坂で
「ここは銃撃戦がありまして
その跡がこの坂の正面のレンガに
残っているんです」
と教えてもらった場所なのですが
丁度、カーブになって右側が見えにくく
敵からすると何があるのか分からないので
ここできっとペースダウンするでしょう。
そして左側には塹壕(ざんごう)らしき
くぼみがあるので見張りを付けてみました。
ココで敵が来るのを
交代制で銃を構えて
見張りしてたんだと思います。
塹壕(ざんごう)からカーブのへ景色
銃を構えた敵国軍が上陸。
攻め行って来ます。
きっとココで見張りをした人には
写真のように銃を構えた相手が
目に飛び込んで来て
敵襲を叫んだと思われます。
それをこの場所で阻止するために
ココで銃撃戦が繰り広げられて
敵国軍の銃弾の跡が今も壁に刻まれています。
やはり子供の頃からの教育なのでしょうか
決して、憎いとか恨んでやるとか
そう言う気持ちは一切湧きません。
どちらも辛い物があると思うし
ソレがなければ今の日本は無かったわけだし。
「平和」であると言う事を
本当に心から感謝します。
写真では伝わりにくいのですが
あいにくのお天気でして
雨が降っていたので傘を差していましたが
傘だけでは少々事足らずだったので
レインコートを羽織っての散策になりました。
カメラを出してると濡れてしまうし
ガイドを付けてしまったので
急ぎ足な場所もあったりして
弾薬庫などの写真が綺麗に撮れなかったので
次回は天気の良い日に来たいと思います。
なのでトイレの写真だけに
なってしまったんだよねぇ。
うふふふふー(゚ε゚ )
船が到着したので
コチラに乗り込み本土へ。
この桟橋で傘をおちょこにすると言う悲劇と
雨でうねりが出てるのに
2階席で外の一番前に乗り込んで
波を浴びると言う
伝説作って来ました(`・ω・´)
ちなみにこの島の住所は
「神奈川県横須賀市猿島」です(゚ε゚ )